クラシック音楽へのおさそい〜Blue Sky Label〜

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ヴェルディ:レクイエム

トスカニーニ指揮 NBC交響楽団 ロバート・ショウ合唱団 S:Nelli MS:Barbieri T:Di Stefano B:Siepi 1951年1月27日ライブ録音

  1. ヴェルディ:レクイエム ?.Requiem & Kyrie(レクイエムとキリエ)
  2. ヴェルディ:レクイエム ?.Dies irae(怒りの日)
  3. ヴェルディ:レクイエム ?.Offertorium(奉献唱)
  4. ヴェルディ:レクイエム ?.Sanctus(聖なるかな)
  5. ヴェルディ:レクイエム ?.Agnus Dei(神の子羊)
  6. ヴェルディ:レクイエム ?.Lux Aeterna(絶えざる光を)
  7. ヴェルディ:レクイエム ?.Libera me(我を救い給え)


レクイエムの衣装をまとった新しいオペラ?

作曲のきっかけはイタリアの国民的詩人アレッサンドロ・マンゾーニの死です。このマンゾーニなる人物についてはほとんど知識を持ち得ていなかったので、早速Googleしてみると、「なるほど、その死を悼んでヴェルディがかくも素晴らしい作品を書いただけの人物だ!」と納得させられました。
彼の代表作は『いいなずけ』(I Promessi Sposi)という、日本では全くなじみのない作品ですが、イタリアではダンテの「神曲」と並び称される作品だそうです。その作品は38章からなる膨大なものであり、さらにイタリアの高校では必ず読まされて各章毎の要約などをさせられるので、「いたって評判の悪い(^^;」作品でもあるそうです。

ヴェルディはマンゾーニとはじめてあったときの感想を次のように述べています。
「この偉大な人物の前にたったときに感じた畏敬の念を私はどう表現したらいいか分からない。それはあたかも神の前に出たように、ひれ伏したかったほどです。」
それだけに、マンゾーニの死を知ったときのヴェルディの嘆きは尋常ではなく、「ミラノで行われる葬儀に列席する元気すら失ってしまった」と語っています。しかし、それに続く書簡で「来年の一周忌にはミサを書いて捧げたいと思います」として、全力でレクイエムの作曲に取りかかることになります。

実は、この数年前にロッシーニの死に際してイタリアの作曲家が共同してレクイエムを作曲する計画があったのですが、内部での足の引っ張り合いでその計画は幻となり、ヴェルディが担当した「リベラ・メ」の部分も埃をかぶったままになっていました。
今回マンゾーニの死をきっかけに、かつて幻と消えてしまったレクイエムをもう一度独力で完成させようと言う思いがヴェルディにあったのかもしれません。

ヴェルディはこのレクイエムの作曲に当たって、数多くのミサ曲の楽譜を取り寄せて研究を重ねたようです。そして、途中小さな中断をはさみながら、一周忌(5月22日)目前の5月2日からスカラ座で練習に入りました。初演はマンゾーニの一周忌にあたる1874年5月22日にサン・マルコ寺院で行われました。

この作品はドイツ・オーストリア系の音楽家たちを驚嘆させました。
時代はワーグナー全盛の時であり、彼らは心の底ではイタリアオペラを軽蔑し、それを表に出すことすら躊躇いませんでした。当然彼らはヴェルディのオペラもヴェルディ自身も軽蔑をしていたのですが、そんな彼らの度肝を抜いたのがこのレクイエムでした。

ハンス・フォン・ビューローは、「どのように凡庸な演奏で聞かされても感動させられる作品だ」と語りました。しかし、「この作品はレクイエムの衣装をまとった新しいオペラにすぎない」とも批判しました。さらに、真偽のほどは確かではありませんが、その言葉を聞いたブラームスは「ビューローは間違っている。これこそ天才の作品である。」 と語ったそうです。このエピソードにも彼らの驚きがあらわれています。

確かにこの作品は劇場的要素の強い作品であり、あまりにも演奏効果が優れているために宗教的感情が希薄であるように言われることが多い作品です。
私は演奏次第で、一人の偉大なる人物の死を悼む深い悲しみがあふれ出すのを感じるときもあれば、オーケストラをバックにしたソプラノの絶叫に虚しさを覚えるときもあります。

さて、真実はいかに?ですが、それはぜひともあなたの耳でお確かめください。

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定番中の定番


ヴェルディのレクイエムと言えば、今もって一番目に指が折られるのがこの録音です。
まず、独唱陣が素晴らしいです。

ヘルヴァ・ネッリ(ソプラノ)
フェドーラ・バルビエーリ (メゾソプラノ)
ジュゼッペ・ディ・ステファノ(テノール)
チェザレ・シエピ (バス)

これにロバート・ショウ率いる合唱団と手兵のNBC交響楽団を率いて、凄まじいまでのパワーにあふれた演奏を展開します。そして、その「パワー」たるや、「録音」という形で聞いても「疲れ」を感じるほどですから、これをライブで聞いた人は「大丈夫だったのだろうか?」ど心配してしまうほどの凄まじさです。

おそらく、長きにわたって20世紀を代表する録音の一つとして長く聞きつがれていくことでしょう。