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ドヴォルザーク:スラブ舞曲 第1集 作品46


ヴァーツラフ・ターリヒ指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 1950年7月6日~8日録音をダウンロード

  1. Dvorak:Slavonic Dances Op.46 [Furiant. Presto (C major)]
  2. Dvorak:Slavonic Dances Op.46 [Dumka. Allegretto scherzando?Allegro vivo (E minor)]
  3. Dvorak:Slavonic Dances Op.46 [Polka. Poco Allegro (Am major)]
  4. Dvorak:Slavonic Dances Op.46 [Sousedska. Tempo di menuetto (F major)]
  5. Dvorak:Slavonic Dances Op.46 [Skocna. Allegro vivace (A major)]
  6. Dvorak:Slavonic Dances Op.46 [Sousedska. Allegretto scherzando (D major)]
  7. Dvorak:Slavonic Dances Op.46 [Skocna. Allegro assai (C minor)]
  8. Dvorak:Slavonic Dances Op.46 [Furiant. Presto (G minor)]

ドヴォルザークの出世作



ドヴォルザークは貧乏でした。
ヴィオラ奏者をしたり、教会のオルガニストをしながら創作活動を続けていましたが、それでも生活は苦しくて、政府からの奨学金を得るために作品を出品をしてなんとか食いつないでいました。
そんなドヴォルザークに転機を与えたのが、この奨学金獲得のために出品していた作品でした。幸運だったのは、審査員の中にブラームスとハンスリックがいたことでした。特に、ブラームスはドヴォルザークの才能を高く評価し、なじみの出版業者だったジムロックに紹介の労をとります。ジムロックもブラームスからの紹介だと断れなかったのでしょう、早速に「モラヴィア二重唱曲」を出版するのですが、これが予想外に好評で、これをきっかけとしてドヴォルザークの名は広く知られるようになります。
そして、次に企画されたのがブラームスのハンガリー舞曲のような作品で、「スラブ舞曲」として8曲が注文されます。
最初は4手用のピアノ曲集として出版されたのですが、この作品はたちまち人気作品となり、すぐに管弦楽用に編曲されます。すると、このオーケストラ版も各地のオケが競ってプログラムに取り上げるようになって、ドヴォルザークの名声は世界的に確立されるようになりました。
やはり、人間というのは苦しいときに腐ってしまっては駄目で、そう言うときこそ努力を続けなければいけません。ドヴォルザークはこの幸運のきっかけとなった奨学金獲得のための作品提出を5年も続けていました。この5年の努力が結果としてブラームスの目にとまることにもなったのでしょうし、おそらくはこの5年の努力が作曲家としてのドヴォルザークの力量を大きく伸ばすことにもなったのでしょう。そして、その実力があったればこそ、ひとたびきっかけを得た後は、そのきっかけを確実な「成功」に結びつけることができたのだと思います。

まさに、スラブ舞曲こそはドヴォルザークの出世作でした。

第1番:プレスト ハ長調 4分の3拍子
第2番:アレグレット・スケルツァンド ホ短調 4分の2拍子
第3番:ポーコ・アレグロ 変イ長調 2分の2拍子
第4番:テンポ・ディ・ミヌエット ヘ長調 4分の3拍子
第5番:アレグロ・ヴィヴァーチェ イ長調 4分の2拍子
第6番:アレグレット・スケルツァンド ニ長調 4分の3拍子
第7番:アレグロ・アッサイ ハ短調 4分の2拍子
第8番:プレスト ト短調 4分の2拍子


チェコフィルが本当にチェコフィルらしかった時代の貴重な記録


セルの演奏が民族的な土臭さを一切洗い流したうえで成立しているのに対して、こちらの方はそう言う土臭さをいっぱいに詰め込んだ演奏だと言えます。
ただ、ターリッヒという人はそう言う民族色だけのローカル指揮者ではなくて、ニキッシュのもとでベルリンフィルのコンサートマスターをつとめ、そのニキッシュに影響されて指揮者を志した人物だけあって、指揮技術は実にしっかりしています。ですから、民族色を前面に出した雰囲気だけの演奏とは違って、なんというか古武士のような野太さを持ち合わせた音楽になっています。
これでもう少し録音が良ければと思いますし、実際この年代であればもう少し贅沢も言いたくなるのですが、それでもチェコフィルが本当にチェコフィルらしかった時代の貴重な記録と言うことで我慢していただきましょう。