クラシック音楽へのおさそい〜Blue Sky Label〜


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ベートーヴェン:六重奏曲 変ホ長調, Op.71(Beethoven:Sextet in E-Flat Major, Op.71)


ウィーン・フィルハーモニー木管グループ:1950年録音(Vienna Philharmonic Wind Group:Recorded on 1950)をダウンロード

  1. Beethoven:Sextet in E-Flat Major, Op.71 [1.Adagio - Allegro]
  2. Beethoven:Sextet in E-Flat Major, Op.71 [2.Adagio]
  3. Beethoven:Sextet in E-Flat Major, Op.71 [3.Menuetto: Quasi allegretto]
  4. Beethoven:Sextet in E-Flat Major, Op.71 [4. Rondo: Allegro]

若き日の姿が垣間見られる



この作品にはベートーベン自身が出版社に書き送った手紙が残っているようです。そこには「六重奏曲は初期の作品で、一晩で書き上げました」などと書かれています。残されたスケッチ帳からは1796年から1797年頃に書かれたものと思われます。
その時期のベートーベンは、内心ではつまらないと思いながらもサロンで演奏されることを想定した作品を書くことにも積極的だったようです。
先の手紙には「少なくとももっと良い作品を作曲している作者の手による作品」などぼやきながらも「多くの人がこういう作品が最高とされます」と続けています。

そこからは、後の我が道を行く傲慢といえるほどの生き方とは別人のような若き日の姿が垣間見られます。
とは言え、機会音楽でありながらも、その後のベートーベンを思わせるような精神が内包されていることも見逃せません。

第1楽章の序奏はどこか交響曲的広がりを感じさせますし、第3楽章のメヌエットでは諧謔的なスケルツォの精神が感じ取れます。
とは言え、全体的には親しみやすいメロディと豊かな響きが特徴的で、優雅で心地よい音楽が楽しめます。

ラリネット2、ホルン2、ファゴット2という当時としては珍しい管楽器編成です。
クラリネットの優雅なソロや、ホルンとファゴットが織りなす温かい響きがサロンの聴衆の耳を惹きつけたことでしょう。
第2楽章の アダージョ は瞑想的で美しいメロディが印象的ですし、終楽章のクラリネット主体のエピソードは非常に優雅なおもむきを持っています。まさに、絶妙とも言うべき洗練された手法だと言えます。

そして、古典派としては身につけるべきものは身につけた上で、そこからはそれを壊して新しい世界を切り開いていくことで、ベートーベンの音楽が生まれてくることになるのでしょう。


ウィーン・フィルの黄金時代をささえた木管グループ


現在においてもウィーン・フィルは世界を代表するオーケストラではありますが、その実力の低下を多くの人が嘆いています。
もっとも、こういう物言いは、「昔はよかった」という年寄りの愚痴のような「根拠」に乏しいものが多いのです。しかし、昨今のウィーン・フィルの地盤沈下は残念ながら否定しようのない事実のようです。

では、今が落ち目ならいつがベストだったのかという話になるのですが、それもまた50年代から60年代の初め頃までと言うのがこれもまた定説のようになっています。
しかし、それもまたどこか「昔はよかった」という愚痴の域を出ないのかもしれません。聞き手は常に気楽で身勝手なものです。

しかし、その時代のウィーン・フィルを支えていたのが空前絶後と言っていいほどの木管グループだったことは事実です。
彼らが支えたウィーン・フィルは未だに田舎の名門オケであり、その土着の香りをふんだんに残していた時代の演奏が二度とよみがえらない事は事実です。
そして、多くの年寄りから見ればそのようなウィーンフィルこそが「The Best」となるのですが、客観的に冷めた目で見れば「One of the Best」なのでしょう。
とはいえ「Best」であることもまた事実です。

そして、そのウィーン・フィルを支えた木管奏者が集合してウェストミンスターに多くの録音を残したのがこの「 ウィーン・フィルハーモニー木管グループ」です。
いや、こんな持って回った言い方をしなくても、そこに結集したメンバーを見ただけでこのグループの凄さは分かります。



ウェストミンスターに残した録音では演奏メンバーはほぼ変わらないのですが、フルトヴェングラーという偉大な個性によって統率された演奏があれば、指揮者というものが存在しない演奏もあります。
指揮者のいない時には、よく言えば演奏者の自発性にしたがった寛いだものになっているのですが、悪く言えば暗黙の了解にしたがった定型的な演奏になってしまっています。
それでも、これだけのメンバーがそろえば、寛いだ伸びやかな雰囲気のほうが勝っているようです。

指揮者をおかない室内オケとしてオルフェウス室内管弦楽団という組織がありました。
作品の解釈はプレーヤーの合議によって決められ、作品ごとにコンサートマスターも選ぶという「民主的」な組織というふれこみでした。
今も活動は続いているようですからそれなりに評価はされているのでしょう。
しかし、彼らの録音を聞くと、音楽には「民主主義」は似合わないと思ってしまいます。

「 ウィーン・フィルハーモニー木管グループ」の寛いだ雰囲気は「民主主義」などではない、ウィーンという町の体温が生み出したもののようです。
ただし、その体温は温かそうに見えて、その裏には世の中の裏表を知り尽くした「擦れっ枯らし」が潜んでいます。それもまたウィーンという町に対する誉め言葉と思ってください。