FLAC モノラルファイルデータベース>>>Top
ドビュッシー:海~管弦楽のための3つの交響的素描(Debussy:La Mer, trois esquisses symphoniques)
グイド・カンテッリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1954年9月録音(Guido Cantelli:NBC Symphony Orchestra Recorded on September, 1954)をダウンロード
- Debussy:La Mer, trois esquisses symphoniques [1.De l'aube a midi sur la mer]
- Debussy:La Mer, trois esquisses symphoniques [2.Jeux de Vagues]
- Debussy:La Mer, trois esquisses symphoniques [3.Dialogue du Vent et de la Mer]
ドビュッシーの管弦楽作品を代表する作品
「牧神の午後への前奏曲」と並んで、ドビュッシーの管弦楽作品を代表するものだと言われます。
そう言う世間の評価に異議を唱えるつもりはありませんが、率直な感想としては、この二つの作品はたたずまいがずいぶん違います。
いわゆる「印象派」と呼ばれる作品ですが、この「海」の方は音楽に力があります。
そして曖昧模糊とした響きよりは、随分と輪郭線のくっきりとした作品のように思えます。
正直申し上げて、あのドビュッシー特有の茫漠たる響きが好きではありません。
眠たくなってしまいます。(^^;
そんな中でも聞く機会が多いのががこの「海」です。
作曲は1903年から1905年と言われていますが、完成後も改訂が続けられたために、版の問題がブルックナー以上にややこしくなっているそうです。
一般的には「交響詩」と呼ばれますが、本人は「3つの交響的スケッチ」と呼んでいました。
作品の雰囲気はそちらの方がピッタリかもしれません。
描写音楽ではありませんが、一応以下のような標題がつけられています。
- 「海の夜明けから真昼まで」
- 「波の戯れ」
- 「風と海との対話」
精緻さだけではなく、ドラマもまた
カンテッリという人はトスカニーニに見いだされて世に出た人でした。
その才能はトスカニーニが自らの後継者と認めたほどの素晴らしいものであり、その音楽は見事な彫刻作品を惚れ惚れと見つめるに似たような思いを引き起こすものでした。
そして、その才能に対する正しい確信は、どのような名門オケに対しても一歩も引くことなく自分の信念を貫き通せる強さを彼に与えていました。
彼の音楽はオケに対する要求が厳しくなければ実現不可能なものであり、執拗なリハーサル無しには為し得ないものでした。
バックにトスカニーニがいたことも大きかったのでしょうが、それでも、僅か30才になったばかりの若造が、スカラ座のオケやフィルハーモニア管、そしてNBC交響楽団に対して一歩も引かなかったというのは尋常のことではありません。
ところが、彼の録音をもう少し聞き込んでいくと、全てが全て、そう言うトスカニーニ流の音楽の枠の中には収まっていないことにも気づくのです。
そのことは、彼の一連のドビュッシーの録音にも感じとれます。
カンテッリのドビュッシーはトスカニーニのドビュッシーと基本的には大きな違いはないように聞こえます。
トスカニーニのドビュッシーの最大の特徴は、ドビュッシー以外の耳が聞くことのなかった新しい響きを雰囲気としてではなく、それを成り立たせている精緻きわまる音の重なりと、それらを使って生み出される綿密な構成を掴み取って正確に再現しようとするものでした。
そして、その様な精緻なるものを追求することはトスカニーニという男のチャレンジ精神を煽り立てるにはぴったりの音楽だったのです。
そのことは、カンテッリのドビュッシーにもぴったりとあてはまります。しかし、カンテッリはそこからさらにもう一歩前に進みだそうとしていることにも気づかされます。
それは、音の重なりと精緻な構造を見事に表現するだけでなく、そこに彼が主観的に感じ取ったドラマのようなものも同時に表現しようとしていることに気づかだざるを得ないのです。
カンテッリのドビュッシー作品のスタジオ録音は以下の4作品でしょうか。
- ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲
- ドビュッシー:海~管弦楽のための3つの交響的素描
- ドビュッシー:交響的断章 聖セバスティアンの殉教
- ドビュッシー:夜想曲より「雲」「祭」
そのどれをとっても、どこまでオケを絞り上げればここまでの精緻な響きを実現できるのだろうかとあきれると同時に、そこへくわえて、一つのドラマもまた表現しようとする意欲が感じてれるのです。
これらの録音からわずか2年後にカンテッリのキャリアは飛行機事故によって突然終止符が打たれます。
歴史に「if」がないことは承知していますが、飛行機事故という悲劇がなければ、その後のクラシック音楽の世界は大きく異なったものになっていたことは間違いないでしょう。