クラシック音楽へのおさそい〜Blue Sky Label〜


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シューマン:チェロ協奏曲 イ短調, Op.129(Schumann:Cello Concerto in A minor, Op.129)


(Cello)アンドレ・ナヴァラ:アンドレ・クリュイタンス指揮 パリ音楽院管弦楽団 1950年6月24日録音(Andre Navarra:(Con)Andre Cluytens:Paris Conservatory Concert Society Orchestra Recorded on June 24, 1951)をダウンロード

  1. Schumann:Cello Concerto in A minor, Op.129 [1.Nicht Zu Schnell]
  2. Schumann:Cello Concerto in A minor, Op.129 [2.Langsam]
  3. Schumann:Cello Concerto in A minor, Op.129 [3.Sehr Lebhaft]

「よい作品」がないのならば自分で書いてみよう!!



色々な数え方はあると思うのですが、一般的にこのシューマンの作品と、ハイドン、ドヴォルザークの作品を持って「三大チェロ協奏曲」と呼ばれるようです。ドヴォルザークのチェロ協奏曲がこのジャンルにおける屈指の名曲であることに異論はないと思うのですが、残る2曲については色々意見もあることでしょう。
しかしながら、このシューマンのコンチェルトから立ち上るロマン的な憂愁と独奏チェロの見事な技巧を聞くと、少なくともこちらのは同意できそうかな・・・と思ってしまいます。

元々、シューマンがこの作品を書こうと思ったきっかけは彼が「評論家」であったことに起因します。
当然、ドヴォルザークのコンチェルトは未だ存在しなかった訳なので、評論家であるシューマンから見れば、このジャンルというのはあまりにもすぐれた作品がないことを憂えたらしいのです。そして、普通の「評論家」ならば、そう思ったところでそれだけで終わるのですが、作曲家でもあったシューマンは、「それならば、自分でそのすぐれた作品」を書いてみよう」と思ってしまった次第なのです。

さらに付け加えれば、その「作曲家」でもあるシューマンは、ロマン派の数ある作曲家の中でもとびきりすぐれた作曲家でもあったので、そうやって決心して生み出したこのチェロ協奏曲もまた、その決心に違わぬ「傑作」となった次第なのです。

まあ、言葉にしてみれば簡単なのですが、それを実際にやり遂げるとなると常人のなし得ることではありません。

このコンチェルトは、シューマンが期待をこめて乗り込んだデュッセルドルフにおける最初の大作です。
それだけに、チェロの憂愁に溢れた響きが一つの特徴でありながらも、音楽全体としては明るく晴れやかな力に満ちています。

そして、この音楽の価値に確信を持っていたシューマンは、何人かのチェリストに演奏上の問題に関わる幾つかの助言(チェリストにとってあまりにも難しすぎる!!)は受け入れたのですが、その他の音楽の本質に関わるようなアドバイスは全て無視したのでした。そう言う助言の大部分は、当時の聴衆にとって「聞きやすく」するための助言だったようなのですが、その様な助言は全て無視したのです。結果として、当時の聴衆にとっては容易に受け入れられる音楽ではなかったので好意を持って受け入れられることはなかったようですが、歴史はシューマンが正しかったことを如実に証明することになるのです。

なお、この作品は3楽章構成なのですが、全体は途切れのないひとまとまりとして演奏されます。


急がなかった早熟の天才


クリュイタンスの古い録音を聞いていてふと出会ったのがこのアンドレ・ナヴァラでした。もちろん名前は聞いたこともあって幾つか録音も聞いた記憶はあるのですが、何故かこのサイトでは今まで一度も取り上げていないことに気づきました。
ナヴァラと言えば、フルニエと並んでフランスを代表するチェリストですから、これはいけませんね。

と言うことで、まずは簡単な経歴から紹介しておきましょう。
亡くなってから30年以上もたつとさすがに人々の記憶からは薄れていきますから。

アンドレ・ナヴァラは1911年生まれで、父親はコントラバス奏者でした。幼くしてその才能はめざましく、9歳でトゥールーズ音楽院に入学し、13歳で首席卒業、さらにパリ音楽院に進学し15歳で首席卒業、そして、20歳でラロの「チェロ協奏曲 ニ短調」を演奏してソリストとしてデビューしています。
まあ、言ってみればよくある神童、言葉をかえれば早熟の天才と言うところでしょうか。
しかし、彼のチェロのおもしろいのは、そう言う「早熟の天才」にしては意外なほどに骨太で力強い音楽を聞かせてくれたことです。「十で神童 十五で才子 二十過ぎれば只の人」というのはよくある話ですが、今でも彼はフルニエやジャンドロンと並んでフランスを代表するチェリストとして認識されています。
決して早熟の天才と言うだけではなかったようです。

おそらくその背景には、彼がソリストとしての活動をメインにする前にパリ・オペラ座管弦楽団の首席チェリストとして長く活動したことが大きかったのかもしれません。彼はそこで戦前の華やかなパリの空気に包まれながら、トスカニーニやワルター、フルトヴェングラー等の偉大な指揮者たちの音楽を間近で経験して、彼の音楽のバックボーンを形づくったのではないかと思われます。
言い換えてみれば早熟ではあったものの決して彼は道を急がなかったのです。
そう言えば、ピアニストのポリーニがショパンコンクールで優勝した後己の「若さ」を自覚していて、その後10年近くにわたって表だった演奏活動から身を引いてレッスンにいそしんだことは有名な話です。急いではいけないのですが、昨今の商業主義はその様な余裕を才能ある若者に与え要としないのが今という時代の不幸なのでしょう。

そして、ナヴァラもまた、満を持するように1945年からソリストとしての活動に集中しています。
おそらくその事が、フランス風の洗練されただけの音楽にならなかった大きな理由だったのではないか、などと勝手に想像しています。

シューベルトのアルペジョーネソナタやエマヌエル・バッハのチェロ協奏曲等を聞くと、軽くもなければ甘過ぎもせず、どこかしっとりと落ちついたたたずまいが魅力的ですし、シューマンの協奏曲でのエネルギッシュな快活さなどには圧倒されます。
そして、そのシューマンとエマヌエル・バッハにかんしては、クリュイタンスがバックをつとめているというのは有り難い話です。
とりわけ、エマヌエル・バッハに関しては極めてレアな音楽なだけに、その音楽とナヴァラの魅力を存分に引き出してくれています。

もう少し、ナヴァラの録音を紹介しないといけないですね。