クラシック音楽へのおさそい〜Blue Sky Label〜


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ドヴォルザーク:ヴァイオリン協奏曲 イ短調 作品53


(Vn)ヨハンナ・マルツィ:フェレンツ・フリッチャイ指揮 RIAS交響楽団 1953年6月3日~5日録音をダウンロード

  1. Dvorak:Violin Concerto in A minor, Op.53 [1.Allegro ma non troppo ]
  2. Dvorak:Violin Concerto in A minor, Op.53 [2.Adagio ma non troppo ]
  3. Dvorak:Violin Concerto in A minor, Op.53 [3.Allegro giocoso, ma non troppo]

何故かマイナーな存在です。



クラシックの世界では有名な作品は「メンコン・チャイコン」みたいに短縮してよばれることがあります。メンコンは言うまでもなくメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲のことですし、チャイコンはチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の事です。
同じように、「ドヴォコン」という呼ばれ方もあるのですが、こちらはヴァイオリンではなくてチェロ協奏曲のことです。

そうなのです、同じ協奏曲でもチェロの方はドヴォルザークと言うよりもクラシック音楽を代表するほどの有名作品であるのに、こちらのヴァイオリン協奏曲の方は実にマイナーな存在なのです。

ドヴォルザークはピアノ・ヴァイオリン・チェロのための協奏曲をそれぞれ一つずつ書いています。この中で、チョロの協奏曲が突出して有名なのですが、他の協奏曲もドヴォルザークらしい美しい旋律とファンタジーにあふれた作品です。確かに、ブラームスやベートーベンの協奏曲のような緻密で堅固な構成は持っていませんが、次々と湧き出るようにメロディがあふれ出してきて、それらが織物のように作品の中に織り込まれていく様は実に見事と言うしかありません。
英国近代音楽の父とも言うべき、サー・チャールズ・スタンフォードはドヴォルザークを評して「彼は考えるために立ち止まることをせず、思い浮かんだことをまず何よりも五線紙上で述べた」と語りましたが、まさにその言葉ピッタリの作品だといえます。


二人の会話が伝わってくるような演奏


おそらく、個人的にはこの作品のほぼベスト言える演奏ではないかと思うのですが、何故かほとんど話題に上がることはありません。それは、若くして実質的に演奏家としての第一線から退いてしまい、その後は近況もほとんど伝わらず、1979年にスイスで亡くなったときはいまだ59歳であり、その死去も随分たってから世に知られるようになるほどの「忘却」ぶりだったからでしょう。

彼女が演奏の題一線から遠ざかってしまったのはEMIのレッグとの間に確執があったと言うことが噂されますが、真相は藪の中です。

結果的に彼女の主たる活動はほぼ1950年代に限定され、さらに録音の数もそれほど多くはありません。
しかし、優れた才能というものは、どれほど埋もれてしまっていても誰かが探り当てるものです。いつの頃からか、彼女のことは「幻のヴァイオリニスト」と称されるようになり、そのレコード盤には天文学的な価格がつくようになっていきました。そして、その録音もなかなかCD化されることがなかったので、彼女の姿はますます幻の彼方に輝くようになります。

幸いにして、彼女の残された録音がパブリック・ドメインになることによってポツポツとCD化がされるようになり、その事によって再び多くの人がこのヴァイオリニストの姿に接することで大きな驚きを持って迎え入れられるようになり、残されたスタジオ録音だけでなく、放送局の奥に眠っていたライブ録音なども少しずつ陽の目を見るようになってきました。

マルティと言えばまずはバッハの無伴奏です。
あそこでは、この上もなく流麗で美しいバッハを示して見せました。それは、シゲティなどに代表される厳しいバッハとは真逆に位置する演奏であり、それ故にEMIのレッグから「それでは売れない」と駄目出しをされたという「噂」も伝わっています。

この、ドヴォルザークの協奏曲はチェロの協奏曲とくらべれば演奏機会はぐっと下がるのですが、音楽的には遜色ないほどの旋律美を持っていて、さらには民族的な色彩にも不足はない作品です。
フリッチャイはそう言う協奏曲に対して伴奏に徹するつもりは全くないようで、かなりの熱量で音楽を開始します。
しかし、それを受けたマルティは出来る限りたおやかにいきましょうよ、と言う感じで優しくヴァイオリンのソロで受けます。しかし、フリッチャイあの指揮は最後までその明解さと溢れる熱量は衰えることはないので、マルティもまたそのオケと互角に渡り合って最後まで素晴らしい集中力を維持しています。

そして、面白いのは自分にソロがまわってくると、再びマルティらしいたおやかな雰囲気を主張するのです。
それでもフリッチャイはめげずにフィナーレに向かって大きく盛りあげていくと、マルティはそれにあわせてさらなら集中力を持ってオケと渡り合っていきます。

まるで、二人の会話が伝わってくるような演奏でもあります。