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ベートーベン:ピアノ四重奏曲第3番 ハ長調 WoO.36 No.3


パスカル弦楽四重奏団:(P)アーサー・バルサム1952年録音をダウンロード

  1. Beethoven:Piano Quartet No.3 in C major, WoO 36 [1.Allegro vivace]
  2. Beethoven:Piano Quartet No.3 in C major, WoO 36 [2.Adagio con espressione]
  3. Beethoven:Piano Quartet No.3 in C major, WoO 36 [3.Rondo. Allegro]

「歌う人」としてのベートーベンの素質はすでに若くして優れたものであった



ベートーベンの「ピアノ四重奏曲」と聞いて、はてさて彼にそんなジャンルの作品ってあったかな、と思ってしまいました。しかも、手もとにあるパスカル重曹団の録音クレジットには「Op.152」等と記されています。
ベートーベンの作品番号にそんな大きな数字のものは存在しないはずなので、ますますあやしい作品です。

そして、まあ聞いてみなければ話は始まらないと思って変ホ長調の第1番から聞き始めると、「あれっ、これってモーツァルトじゃない」と思ってしまいます。実にもってあやしい作品です。当然の事ながら音楽之友社発行の「作曲家別名曲解説」の600ページ近い「ベートーヴェン」の中にも収録されていません。

と言うことで、ネットなどであれこれ調べてみると、これはどうやらベートーベンのボン時代の作品だと言うことが分かりました。1885年頃に作曲されたと言うことなので、ベートーベンが15歳の時の作品と言うことになります。そして、その時期はまさにモーツァルトの作品を一生懸命勉強していた時期なので、おそらくはモーツァルトの「ピアノ四重奏曲」をお手本に作曲したものと思われていました。

しかし、さらに詳しく調べてみると、モーツァルトのピアノ四重奏曲は1785年の10月(K.478)と翌年の6月(K.493)に作曲されていますから、どうやらベートーベンの作品の方がはやく書かれているのです。つまりは、このベートーベンのピアノ四重奏曲はモーツァルトのピアノ四重奏曲とは全く関係がないのです。
しかし、この3曲は後のベートーベンを思わせるような力強い場面も表れますが、おそらくブラインド聞かされて「これってモーツァルトの作品なのよね」と言われれば「そうかもしれないね」と言ってしまいそうなほどにモーツァルト的です。

もっとも、それだけ、この時期のベートーベンは必死でモーツァルトを学んでいたと言うことなのでしょう。最近になってこの作品とモーツァルトの「アウエルンハンマー・ソナタ集」と呼ばれることのあるヴァイオリン・ソナタとの関連性が指摘されるようになってきました。
「アウエルンハンマー・ソナタ集」はウィーンの実業家の令嬢だったアウエルンハンマー嬢のために書かれた6曲からなるヴァイオリン・ソナタ集なのですが、そのソナタの枠組みを使ってピアノを含んだ四重奏曲に仕立て上げたのではないかというのです。

ベートーベンは1882年頃からクリスティアン・ネーフェの指導を受けるようになっているので、もしかしたらそれはネーフェから与えられた課題だったのかもしれません。もっとも、それを証明する資料は存在しないので、ベートーベン自身の自発的意志で取り組んだのかもしれません。
しかし、この作品への愛着は強かったようで、変ハ長調の第2楽章の主題はピアノ・ソナタ第1番の第2楽章で使われていますし、第3楽章の主題も第3番ソナタの第1楽章で使っています。若きベートーベンにとっては自信作だったのでしょう。

そして、もう一つ気づかされるのはベートーベンが持っている「歌謡性」です。
ベートーベンと言えば、とかく最小単位の動機を論理的に積み上げて巨大な建造物を作りあげるような構築性や、それまでの常識を打ち破るようなデュナーミクの拡大などが言われるのですが、もう一つ忘れていけないのはその優れた「歌謡性」です。
そうです、エートーベンというのは非常に美しく歌う人であったのですが、それが往々にして構築性やダイナミズムの陰に隠れてしまうことがあるのです。

しかし、そう言う「歌う人」としてのベートーベンの素質はすでに若くして優れたものであったことをこの3曲のピアノ四重奏曲が証明しています。
激しさだけがベートーベンではないと言うことなのです。

それから、最後に「作品番号」に関わる話題を少し紹介しておきます。
音楽史においては、「作品番号」を初めて使用したのはベートーベンだと言われています。それは、音楽家が宮廷の使用人から芸術家へと変化していくなかでの出来事で、彼はベートーベンに相応しい作品にのみ「作品番号」を与え、それ以外の頼まれ仕事で書いた取るに足りないような作品には「作品番号」を与えませんでした。
ですから、彼が「作品番号1」をあたえたピアノ・トリオや「作品番号2」を与えたピアノ・ソナタ以前の作品は「習作」と言うことで、全て作品番号を与えることはしませんでした。

つまりは、ベートーベンが残した音楽作品の数は作品番号の数よりはるかに多いのです。
そして、このピアノ四重奏曲に関して50年代から60年代にかけてのレコードジャケットに「Op.152」と記しているのは、この作品を初めて出版した出版社が勝手にナンバリングしたものだと考えられます。
この出版社のつける作品番号が作曲家の意志と一致しないで悶着を起こすことはそれ以後も良くあり、その典型がドヴォルザークとジムロックとの間に生じた軋轢です。

しかし、出版社が勝手にその様に重要な「作品番号」を勝手につけるというのは問題ですので、現在ではベートーベンに関しては彼自身がつけた作品番号だけを尊重し、それ以外の作品については1950年代にキンスキー・ハルムがWoO(Werk ohne Opuszahl}という番号を与えて全作品の目録を完成させました。
そのおかげで、このピアノ四重奏曲も「Op.152」という怪しげな作品番号から解放されて「WoO.36」というスッキリとした番号を持てるようになりました。


ラテン的な気質からベートーベンを眺めればどう映るかを私たちに提示している


恥ずかしながら、「パスカル弦楽四重奏団」という存在は私の視野には全く入っていませんでした。ですから、最初にこの団体について少しばかり紹介させてください。

まず、この団体なのですが、ヴィオラ奏者である「レオン・パスカル」の名前をとって団体名としているのは非常に珍しいのではないでしょうか。
こういうカルテットで個人名をそのまま団体名にするときはほとんどがファースト・ヴァイオリン奏者の名前持ってくることがほとんどです。何故ならば、ファースト・ヴァイオリン奏者がその団体の主催者であったり、音楽的にリーダーである場合が一般的だからです。
古いところでは「カルヴェ四重奏団」とか「レナー四重奏団」などは、それぞれファースト・ヴァイオリン奏者の「ジョゼフ・カルヴェ」「イエネー・レナー」の名前を団体名に冠しています。
それ以外にも、「バリリ四重奏団(ワルター・バリリ)」「バルヒェット四重奏団(ラインホルト・バルヒェット)」「パレナン弦楽四重奏団(ジャック・パレナン)「ブッシュ弦楽四重奏団(アドルフ・ブッシュ)」という感じです。

ですから、この「パスカル弦楽四重奏団」のようにヴィオラ奏者の名前を団体名に冠しているというのは非常に珍しいといえます。
ただし、このヴィオラ奏者である「レオン・パスカル」は伝説のカルテットとも言うべき「カルヴェ四重奏団」のヴィオラ奏者として長く活躍したという経歴を持っていますし、この団体そのものがこの「レオン・パスカル」の呼びかけで結成されたという経緯もありますから、こういうネーミングになったのでしょう。

しかしながら、彼らの演奏を聞けば決してファースト・ヴァイオリン主導の古いタイプの団体ではないのですが、それでも音楽的にはファースト・ヴァイオリン奏者である「ジャック・デュモン」が大黒柱であったことは間違いないようです。
この「パスカル弦楽四重奏団」はドイツ占領下のフランス(より正確に言えばイタリア軍占領下)のマルセイユで1941年に結成されました。彼らが活動の場をイタリア軍の支配下にあるマルセイユを選んだのは、ヴィシー政権やドイツ軍占領地域と較べてより自由が保障されていたからのようです。そして、1944年にパリが解放されると、かれらもパリに移動してフランス放送に所属する団体として活発に活動をはじめます。

おそらく、この放送局に所属する団体と言うことが彼らの音楽を大きく特徴づける要因となったようです。何故ならば、彼らは放送局に所属することで安定した生活が保障されたのですが、それと引き替えに放送局から求められる作品は必ず演奏しなければいけなかったからです。
ですから、「パスカル弦楽四重奏団」は結果として「ヴィヴァルディからショスタコーヴィチまで」と言われるほどの守備範囲の広い団体となりました。
さらに、公共の電波でその演奏は広く公開される訳ですから、その演奏クオリティもどんどん磨きがかかるようになっていったようです。その面においては、何といってもファースト・ヴァイオリンのジャック・デュモンの力によるところは大きかったようです。彼の艶やかでありながら明るさを失わない響きはこの団体の音色を決定づけていますし、さらには常に姿勢を崩さない背筋がピンと伸びた音楽作りにも彼の姿勢が強く反映しています。

ですから、レオン・パスカルが1969年になくなっても、ジャック・デュモンは新しいメンバーを加えてカルテットを存続させるのですが、そのジャック・デュモン自身が1973年に亡くなると同時にこの団体が解散せざるを得なくなったのは仕方のないことだったのでしょう。

とまあ、ざっと概略を述べればそう言う団体だったわけですが、その活動のピークは1950年代だったようです。
とりわけ1952年に集中的に録音されたベートーベンの弦楽四重奏曲の全曲録音は彼らを代表する録音と言っていいようです。
そう言えば、これとほぼ同じ時期に、海の向こうのアメリカではブダペスト弦楽四重奏団による全集が録音されているのですが、さすがにあそこまでのカミソリのような切れ味はありません。しかし、こんな言い方をすると失礼になるかもしれないのですが、この時代のフランスのカルテットとしては信じられないくらいに演奏精度も高く、さらには新即物主義という新しい潮流をもしっかりと見すえた音楽作りになっています。
そして、フランスのカルテットだなと思うのは、その音色は常に明るくて艶やかさを失わないことであり、さらには歌うべきところの歌い回しはさすがはフランスのカルテット!と感心させられます。それは、例えば一番最初の弦楽四重奏曲第1番のアダージョ楽章を聞くだけで納得できるはずです。

ただし、念のために付け加えておきますが、演奏全体はその様な情に流されたようなベートーベンにはなっていません。「情」の部分は「情」として歌い回しながらも、全体としてはベートーベンらしいしっかりとした骨組みで構築されています。ただし、人によっては何処までいっても明るさを失わない響きは、とりわけ後期の作品群では不満を感じる向きがあるかもしれません。つまりは、もう少し陰影というか、明と暗の対比というか、そう言う「深み」のようなものが欲しくなるかもしれません。
しかし、じっくりと聞いてみれば、彼らは最初からその様なベートーベン像は求めていないことにも気づかされます。

つまりは、ラテン的な気質を持ったフランスからゲルマン的なベートーベンを眺めればどう映るかを私たちに提示しているのがこの録音なのです。
そう言う意味でも、これは実に興味深くもあり、価値の高い録音だといえます。

さらに、もう一つ特記しておくべきは、この録音はアメリカの「コンサート・ホール・ソサエティ」によって行われたと言うことです。このアメリカのレーベルは会員制の通信販売という戦力で規模を拡大したレーベルだったのですが、コストを抑えるためにヨーロッパでの録音はヨーロッパのレーベルに丸投げをすることが多かったようです。想像にしか過ぎませんが、52年のモノラル録音としては非常にクオリティが高いので、もしかしたらDeccaあたりに丸投げしたのではないかと思われるほどに優秀です。
それにしても、隣接権の保護期間を70年に延長するという改悪をしくれたおかげで過去の録音に目が向くようになったのですが、そこは驚くほどにお宝が眠っている世界のようなのです。

まさに掘れば掘るほどお宝が出てくる感じです。

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