クラシック音楽へのおさそい〜Blue Sky Label〜


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バッハ:無伴奏チェロ組曲第6番 ニ長調 BWV1012


(Cell)ガスパール・カサド 1957年録音をダウンロード

  1. Bach:Cello Suite No.6 in D major, BWV 1012 [1.Prelude]
  2. Bach:Cello Suite No.6 in D major, BWV 1012 [2.Allemande]
  3. Bach:Cello Suite No.6 in D major, BWV 1012 [3.Courante]
  4. Bach:Cello Suite No.6 in D major, BWV 1012 [4.Sarabande]
  5. Bach:Cello Suite No.6 in D major, BWV 1012 [5.Gavottes]
  6. Bach:Cello Suite No.6 in D major, BWV 1012 [6.Gigue]

真に優れたものは、どれほど不当な扱いを受けていても、いつかは広く世に認められる



「組曲」とは一般的に何種類かの舞曲を並べたもののことで、16世紀から18世紀頃の間に流行した音楽形式です。この形式はバロック時代の終焉とともにすたれていき、わずかにメヌエット楽章などにその痕跡を残すことになります。

その後の時代にも組曲という名の作品はありますが、それはこの意味での形式ではなく、言ってみれば交響曲ほどの厳密な形式を持つことのない自由な形式の作品というものになっています。
この二通りの使用法を明確に区別するために、バッハ時代の組曲は「古典組曲」、それ以後の自由な形式を「近代組曲」とよぶそうです。
まあ、このような知識は受験の役に立っても(たたないか・・)、音楽を聞く上では何の役にも立たないことではありますが。(^^;

バッハは、ケーテンの宮廷楽長をつとめていた時代にこの組曲形式の作品を多数残しています。

この無伴奏のチェロ組曲以外にも、無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ、無伴奏フルートのためのパルティータ、そして管弦楽組曲等です。

それにしても疑問に思うのは、この難曲である無伴奏のチェロ組曲を誰が演奏したのかということです。
ヴァイオリンの方はおそらくバッハ自身が演奏したのだろうと言われていますが、チェロに関してはそれほどの腕前は持っていなかったことは確かなようです。
だとすると、ケーテンの宮廷楽団のチェロ奏者がこの曲を演奏したと言うことなのでしょうか。
現代においてもかなりの難曲であるこの作品を一体彼はどのような思いで取り組んだのでしょうか。

もっとも、演奏に関わる問題は作品にも幾ばくかの影響は与えているように思います。
なぜなら、ヴァイオリンの無伴奏組曲と比べると無伴奏チェロ組曲の6曲全てが定型的なスタイルを守っています。

また、ヴァイオリンの組曲はシャコンヌに代表されるように限界を超えるほどのポリフォニックな表現を追求していますが、チェロ組曲では重音や対位法的な表現は必要最小限に限定されています。
もちろん、チェロとヴァイオリンでは演奏に関する融通性が違いますから単純な比較はできませんが、演奏者に関わる問題も無視できなかったのではないかと思います。

それにしても、よく知られた話ですが、この素晴らしい作品がカザルスが古道具屋で偶然に楽譜を発見するまで埋もれていたという事実は信じがたい話です。
それとも、真に優れたものは、どれほど不当な扱いを受けていても、いつかは広く世に認められると言うことの例証なのでしょうか。

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第6番ニ長調 BWV1012




  1. 前奏曲(Praeludium)

  2. アルマンド(Allemande)

  3. クーラント(Courante)

  4. サラバンド(Sarabande)

  5. ガヴォット I/II

  6. ジーグ(Gigue)


バッハはこの作品を5弦のチェロで演奏することを想定して作曲しました。当然のことながら通常のチェロは4弦ですから、ハイポジションを多用した超絶テクニックで乗り切らなければなりません。もちろん、バッハ時代の5弦のチェロを復元して演奏をしてもいいのですが、それではハイポジションを多用した通常のチェロで演奏したときとは音楽の雰囲気が全く変わってしまいます。
やはり、この作品からイメージされる強い緊張感に満ちた音楽にするためには、超絶テクニックを使った通常のチェロである塩素する必要があるようです。ただし、ヘタをすると首を絞められたような悲鳴になりかねないので難しいところです。


「ごうごうひびくと」という表現がこれほどピッタリくるチェロの響きは他にはないかもしれません


ガスパール・カサドと言えば伝説のピアニストと言われる原智恵子の夫であり、さらにはカザルスの弟子としても有名なチェリストでした。しかし、チェリストとしてはどうしても師であるカザルスの陰に隠れてしまって影が薄いと言わざるを得ません。
しかし、残された録音を聞いてみると、その骨太の音楽はまさにカザルス直系を思わせます。
そして、一番興味深く感じたのは、その独特のチェロの音色です。ただし、楽器の音色などと言うものは録音というバイアスがかかってしまうと何処まで正確に判断できるかは怪しいのですが、それでも同時代のどのチェリストとも異なる独特な音色の持ち主だったようなのです。

それは、おかしな話なのですが、そのチェロの音を聞いて真っ先に思い浮かんだのが宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」でした。
あれは、下手くそなセロ弾きのゴーシュが、いろいろな動物たちの訪れを通して成長していく物語なのですが、その中に病気の子供を連れてくる野ねずみのお母さんがいました。


すると野鼠のねずみのお母さんは泣きだしてしまいました。
「ああこの児こはどうせ病気になるならもっと早くなればよかった。さっきまであれ位ごうごうと鳴らしておいでになったのに、病気になるといっしょにぴたっと音がとまってもうあとはいくらおねがいしても鳴らしてくださらないなんて。何てふしあわせな子どもだろう。」

ゴーシュはびっくりして叫さけびました。
「何だと、ぼくがセロを弾けばみみずくや兎の病気がなおると。どういうわけだ。それは。」

野ねずみは眼を片手でこすりこすり云いました。
「はい、ここらのものは病気になるとみんな先生のおうちの床下にはいって療すのでございます。」
「すると療るのか。」
「はい。からだ中とても血のまわりがよくなって大へんいい気持ちですぐ療る方もあればうちへ帰ってから療る方もあります。」
「ああそうか。おれのセロの音がごうごうひびくと、それがあんまの代りになっておまえたちの病気がなおるというのか。よし。わかったよ。やってやろう。」


少し引用が長くなりましたが、この「さっきまであれ位ごうごうと鳴らしておいでになったのに」とか、「おれのセロの音がごうごうひびくと」という表現がこれほどピッタリくるチェロの響きは他にはないのです。
ただし、カサドはゴーシュのような下手なセロ弾きではないので、そのごうごうとなるような響きでもってバッハの対位法を見事に表現しきっています。そして、そこにカザルス譲りの雄大なスケールが付け加わるのです。

振り返ってみれば、この時代は実にチェリスト多産の時代でした。

まずは大御所のカザルスは存命で、指揮活動との両輪で未だに現役でした。
さらに、豪快なシュタルケル、美音系の貴公子フルニエなども全盛期でした。
それ以外に、思いつくだけでも、トルトゥリエ、ナヴァラ、ピアティゴルスキー、ジャンドロン、マイナルディ、さらにヤニグロも指揮活動に重点をおくのはこれよりも先の時代でした。
そして、若きロストロポーヴィチにデュ・プレなどが登場してくるのもこの時代でした。

これ以上名前を挙げていくのも煩わしいので避けますが、カサドはその誰とも似通っていないように思うのです。
それでも誰に一番似ているかと聞かれれば、それはやはりカザルスに似ていると言わざるを得ないのです。
ボーイングや運指のテクニックが非常に高いので、カザルスのような「像のダンス」のようにはならないのですが、それでもどこか無骨なところがあって、それが野武士のような雰囲気を感じさせるのです。

1957年の録音であるにもかかわらずモノラルというのが少し残念ですが、チェロ一挺の音楽ならば、下手なステレオ録音よりもこの方が好ましいかもしれません。