クラシック音楽へのおさそい〜Blue Sky Label〜

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ラヴェル:ボレロ

フリッチャイ指揮 RIAS交響楽団 1953年4月16日&1955年4月18日録音

  1. Ravel:Bolero, M. 81

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変奏曲形式への挑戦

この作品が一躍有名になったのは、クロード・ルルーシュ監督の映画「愛と哀しみのボレロ」においてです。映画そのものの出来は「構え」ばかりが大きくて、肝心の中味の方はいたって「退屈」・・・という作品でしたが(^^;、ジョルジュ・ドンがラストで17分にわたって繰り広げるボレロのダンスだけは圧巻でした。
そして、これによって、一部のクラシック音楽ファンしか知らなかったボレロの認知度は一気に上がり、同時にモダン・バレエの凄さも一般に認知されました。

さて、この作品なのですが、もとはコンサート用の音楽としてではなく舞踏音楽として作曲されました。ですから、ジョルジュ・ドンの悪魔的なまでのダンスとセットで広く世に知れ渡ったのは幸運でした。なにしろ、この作品を肝心のダンスは抜きにして音楽だけで聞かせるとなると、これはもう、演奏するオケのメンバーにとってはかなりのプレッシャーとなります。
嘘かホントか知りませんが、あのウィーンフィルがスペインでの演奏旅行でこの作品を取り上げて、ものの見事にソロパートをとちってぶちこわしたそうです。スペイン人にとっては「我らが曲」と思っている作品ですから、終演後は「帰れ」コールがわき上がって大変なことになったそうです。まあ、実力低下著しい昨今のウィーンフィルだけに、十分納得のいく話です。

この作品は一見するとととてつもなく単純な構造となっていますし、じっくり見てもやはり単純です。
1. 最初から最後まで小太鼓が同じリズムをたたき続ける。
2. 最初から最後まで少しずつレッシェンドしていくのみ。
3. メロディは2つのパターンのみ

しかし、そんな「単純」さだけで一つの作品として成り立つわけがないのであって、その裏に、「変奏」という「種と仕掛け」があるのではないかとユング君は考えています。変奏曲というのは一般的にはテーマを提示して、それを様々な技巧を凝らして変形させながら、最後は一段高い次元で最初のテーマを再現させるというのが基本です。

そう言う正統的な捉え方をすれば、同じテーマが延々と繰り返されるボレロはとうていその範疇には入りません。
でも、変奏という形式を幅広くとらえれば、「音色と音量による変奏曲形式」と見れなくもありません。

と言うか、まったく同じテーマを繰り返しながら、音色と音量の変化だけで一つの作品として成立させることができるかというチャレンジの作品ではないかと思うのです。
ショスタの7番でもこれと同じ手法が用いられていますが、しかしあれは全体の一部分として機能しているのであって、あのボレロ的部分だけを取り出したのでは作品にはなりません。

人によっては、このボレロを中身のない外面的効果だけの作品だと批判する人もいます。
名前はあげませんが、とある外来オケの指揮者がスポンサーからアンコールにボレロを所望されたところ、「あんな中身のない音楽はごめんだ!」と断ったことがありました。
それを聞いた某評論家が、「何という立派な態度だ!」と絶賛をした文章をレコ芸に寄せていました。

でも、私は、この作品を変奏曲形式に対する一つのチャレンジだととらえれば実に立派な作品だと思います。
確かにベートーベンなんかとは対極に位置する作品でしょうが、物事は徹すると意外と尊敬に値します。

そこにあるのはゲルマンの野蛮であり、その野蛮によってフランスのエスプリは息の根を止められている


「ボレロ」という音楽は、基本的にはどこまで行っても「際物」です。そして、その事はラヴェル自身も認めていたようです。
後に指揮者として名をなしたポール・パレーがこんな思い出を語っています。

演奏会の終了後にカフェでアイスクリームばかり食べているラヴェルにカジノへ行こうと誘ったときのことです。
「行かないよ、パレー。私は生涯に一度だけギャンブルをやって、勝った。それで十分なんだ。」
何の事かよく分からないパレーに対してラヴェルは次のように付け足したそうです。
「私は一度だけギャンブルをやった、ボレロを作曲することで。」


タネも仕掛けもある手品は、そのタネと仕掛けがばれてしまえば普通はそれで終わりです。
それでは、タネも仕掛けもばれてしまっているのに、それでもなお魅力を失わない手品が作れるのかと言えば、それは普通は不可能です。
ところが、このボレロはそう言う不可能なことにチャレンジして見事な成功をおさめた希有な例なのです。ですから、そのチャレンジのことをラヴェルはギャンブルと言ったのでしょう。

もっとも、そこまで深い意味はなくて、ただ端にパレーの誘いが鬱陶しかっただけかも知れませんが・・・。

ですから、こういう作品は真っ向勝負で生真面目に取り組んでは面白くはならないものです。オーケストラの個々のメンバーの名人芸を発揮しながら、あくまでも粋で洒落た感じに仕上げるのが上策です。
ところが、このフリッチャイとその手兵であるベルリン放送交響楽団による演奏はそう言う上策は投げ捨てて、まなじりを決したかのような真っ向勝負を挑んだ演奏になっているのです。

若い頃のフリッチャイと言えば弾むようなリムに裏打ちされた推進力に満ちた音楽が魅力なのですが、ここではリズムは弾むのではなくて斧か鉞を振り下ろすような強烈な打撃力が漲っています。
そして、その打撃が悠然たる歩みの中で繰り出されるのならば、それはそれで相互補完のような関係となって一つのあるべき形になるのでしょうが、ここでは恐ろしいまでのスピードであらゆるものをなぎ倒していくのです。
オーケストラが最後のクライマックスに達して砕け散った後に後ろを振り返れば、そこにはなぎ倒された屍と焦土が広がっているだけなのです。

そこにあるのはゲルマンの野蛮であり、その野蛮によってフランスのエスプリは息の根を止められています。

間違ってもボレロを聞くためのお薦め盤にはならないのですが、ありとあらゆるボレロを聞いた後に聞いてみるのも一興かも知れません。
ただ、一つ不思議なのは、録音クレジットを見れば一度は1953年に録音しながらその2年後の55年にもう一度録りなおしていることです。フリッチャイにしてみれば何らかの不満があって録りなおしたのですから、少なくともこのスタイルに対する納得と自身があったことだけは町がありません。