クラシック音楽へのおさそい〜Blue Sky Label〜


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シューマン:幻想曲 ハ長調 作品17

(P)アニー・フィッシャー 1958年10月12日 & 1959年2月5日録音


  1. Schumann:Fantasy in C major, Op.17 [1.Durchaus fantastisch und leidenschaftlich vorzutragen]
  2. Schumann:Fantasy in C major, Op.17 [2.Massig: Durchaus energisch]
  3. Schumann:Fantasy in C major, Op.17 [3.Langsam getragen - Durchweg zu halten]



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ロマン派の作曲家らしく、シューマン自身のクララをめぐる悲劇的な感情が見事に反映している

この作品は様々な経緯を経て完成させられた音楽です。
きっかけは、リストが発起人として名を連ねるベートーベンの記念碑建設に関わる事業にピアノ・ソナタを送ろうと考えたことがきっかけです。
そのソナタは当初は「ベートーベンの記念のためのオーポーレン 作品12」と記されていました。「オーポーレン」とはギリシャの少額の貨幣のことで、当時は少額の寄付を意味していたそうです。

しかし、シューマンの思いに反して出版業者が出版を渋ったために、シューマンはさらにその作品に手を加えて題名もシンプルに「幻想曲」と改められました。そして、リストに献呈するという形で漸くにして出版されたのですが、その時には肝心の記念碑建設事業は終了していたのです。

そのあたりの間の悪さがシューマンらしいと言えばシューマンらしいのでしょうが、しかし、この作品を書いていた時期は、クララとの仲をクララの父親から厳しく反対されていたときであり、若きシューマンにとってはもっとも困難な時期でもあったのですから、仕方がないと言えば仕方がなかったのかも知れません。

そして、逆から見れば、この作品にはロマン派の作曲家らしく、シューマン自身のクララをめぐる悲劇的な感情が見事に反映しているのです。
ですから、この作品が当初計画されたような「ソナタ」ではなくて、より自由な形式による「幻想曲」となったことは当然のことだったと言えます。

そう考えてみると、この作品はベートーベンのソナタよりはシューベルトの音楽、例えば「さすらい人幻想曲」などからの方が大きな影響を受けたと考えられます。
しかし、聞いてみれば分かるように、シューマンの幻想曲はシューベルトのものよりもさらに自由に羽ばたいています。

そして、その思いは各楽章に示されたドイツ語による演奏指示にも現れていますし、それはまた、この作品に対するシューマンの溢れる自信を刻み込んだものとも言えます。


  1. 第1楽章:Durchaus fantastisch und leidenschaftlich vorzutragen ー Im Legendenーton ー Tempo primo(全く幻想的に、情熱的に弾くこと ー 昔語りの調子で ー 初めのテンポで)
    シューマンはクララに対してこの楽章のことを「おそらく私がこれまで書いたもののなかでもっとも情熱的で、君のための悲歌」と告げています。
    末尾のあこがれに満ちたアダージョはベートーヴェンの連作歌曲「遥かなる恋人に寄す」からの引用です。

  2. 第2楽章:Masig. Durchaus energisch ー Etwas langsamer ー Viel bewegter"(中庸に。全く精力的に ー ややゆっくりと ー 極めて活発に)
    祝典の行進曲風音楽であり、冒頭の左手で奏されるアルペッジョはシューマンの巨匠的ピアニズムの典型だと言えます。

  3. 第3楽章:Langsam getragen. Durchweg leise zu halten ー Etwas bewegter(ゆっくり弾くこと。常に静けさをもって ー やや活発に)
    自由なソナタ形式であり、「クララの動機」が巧みに活用されています。




「音」というパーツの精度を極限まで高め、そのパーツをに寸分の誤差もなく組み立てることでシューマンの底深い情念を再現した


シューマンのピアノ作品はどうにも苦手なので敬遠していました。
フィッシャーの録音に関してもモーツァルトやベートーベンはさっさと聞いてはいたのですが、シューマンだけは長く放置されていました。
しかし、それでは古典派だけでこのピアニストを判断することになりますし、何よりも録音の数そのものが少ないのですから、いつまでも放置ではイカンだろうと言うことで聞いた見たのです。

そして、聞いてみて度肝もを抜かれたのです。
異論はあるでしょうが、これはもうシューマンに関してはホロヴィッツと並んで絶対に無視できない録音だとは言えそうです。

ただし、こういう書き方をすると「○○をご存知でしたらね」みたいな哀れみを込めたメールをいただくことになるのですが、まあ、それでも凄いものは凄いので、敢えてこう書ききりましょう。(^^v

こういう演奏を聞くと、まさにプロだなと感心させられます。
特に、この直前にはモーラ・リンパニーの、それもピアニストとしては第一線を退いていた時期のコンチェルトを聞いていたので、その違いには唖然とするしかありません。

おかしな話ですが、ある意味ではマチュア精神に溢れたリンパニーのコンチェルトは、誰の耳が聞いても驚かされる凄みを持っています。もしも、それを実演などで聞かされた日には、その凄みにノックアウトされることは間違いありません。
そして、今の日本でも、こういうスタイルの演奏でリストなんかを取り上げて人気を博しているピアニストがいますね。

そう言うスタイルの演奏と較べれば、こういうフィッシャーのような演奏は派手さは一切ないので、多くの聞き手にアピールするのは難しいかも知れません。
しかし、ある程度はクラシック音楽というものを聞き続けてきた耳であれば、この演奏の背後に秘められた驚くべき精度さと、それに裏付けられた深い情念には気づくはずです。

それは喩えてみれば、通常の工業製品ならば精々が10分の1ミリ程度の精度で仕上がっているものが、フィッシャー工房の手作りではネジ1本に至るまでもが100分の1ミリの精度で仕上がっているようなものです。
そして、驚くべきは、その精度でもってシューマンという製品をイメージできている凄さです。

考えてみれば、ロマン派を代表する典型的な性格小品の本家本元がシューマンなのですから、多くのピにストはその雰囲気に乗っかってザックリ仕上げていることが多いのです。
そして、シューマンのピアノ作品にいつもなにがしかの不満を感じていたのは、そう言う仕上げの雑さが原因だったことをこのフィッシャーの演奏は教えてくれたのです。

情念は雰囲気ではなくて、精度です。
シューマンの底深い情念を形づくっている「音」というパーツの精度を極限まで高め、その精緻なパーツをさらに寸分の誤差もなく組み立てることで再現して見せているのです。ですから、ここに雰囲気に甘えて曖昧に弾きとばしてるようなパーツはただの一つもありません。
そして、それを証明しているのが、私が冗談半分で「フィッシャー・ペース」と呼んでいる録音クレジットです。
噂によると、これだけ時間をかけて録音を行っても、結局はフィッシャーがOKを出さなかったのでお蔵に入ってしまったものも少ないそうです。(彼女が亡くなってからお蔵から出てきたそうです)

そして、これが音楽というものの難しいところなのでしょうが、結局そこまで細部にこだわって作り込むことで逆にスポイルされる部分も少なくないので、結果としては思わしくないことになってしまうこともあったようです。
ただし、この一連のシューマンの録音に関してはあり得ないほどの日数はつぎ込んでいないので、こだわった事によるプラスがマイナスを上回ったようです。
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