クラシック音楽へのおさそい〜Blue Sky Label〜

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モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番 イ長調 K.219

(Vn)レオニード・コーガン ルドルフ・バルシャイ指指揮 モスクワ室内管弦楽団 1958年録音

  1. Mozart:Violin Concerto No.5 in A major, K.219 [1.Allegro aperto]
  2. Mozart:Violin Concerto No.5 in A major, K.219 [2.Adagio]
  3. Mozart:Violin Concerto No.5 in A major, K.219 [3.Rondeau: Tempo di Menuetto]



断絶と飛躍

管理人の手違いで音源が「(vn)エリカ・モリーニ フレデリック・ヴァルトマン指揮 ムジカ・エテルナ室内管弦楽団 1962年3月26日~9日録音」と入れ替わっていました。
昨日(6月2日)22時過ぎに訂正しましたが、それ以前にこのページからダウンロードされた方は再度ダウンロードしてご確認ください。
ただし、MP3データベースの音源はコーガンのものですので手直しの必要はありません。
ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。


モーツァルトにとってヴァイオリンはピアノ以上に親しい楽器だったかもしれません。何といっても、父のレオポルドはすぐれたヴァイオリン奏者であり、「ヴァイオリン教程」という教則本を著したすぐれた教師でもありました。
ヴァイオリンという楽器はモーツァルトにとってはピアノと同じように肉体の延長とも言える存在であったはずです。そう考えると、ヴァイオリンによるコンチェルトがわずか5曲しか残されていないことはあまりにも少ない数だと言わざるを得ません。さらにその5曲も、1775年に集中して創作されており、生涯のそれぞれの時期にわたって創作されて、様式的にもそれに見あった進歩を遂げていったピアノコンチェルトと比べると、その面においても対称的です。

創作時期を整理しておくと以下のようになります。


  1. 第1番 変ロ長調 K207・・・4月14日

  2. 第2番 ニ長調 K211・・・6月14日

  3. 第3番 ト長調 K216・・・9月12日

  4. 第4番 ニ長調 K218・・・10月(日の記述はなし)

  5. 第5番 イ長調 K219・・・12月20日



この5つの作品を通して聞いたことがある人なら誰もが感じることでしょうが、2番と3番の間には大きな断絶があります。1番と2番はどこか習作の域を出ていないかのように感じられるのに、3番になると私たちがモーツァルトの作品に期待するすべての物が内包されていることに気づかされます。
並の作曲家ならば、このような成熟は長い年月をかけてなしとげられるのですが、モーツァルトの場合はわずか3ヶ月です!!
アインシュタインは「第2曲と第3曲の成立のあいだに横たわる3ヶ月の間に何が起こったのだろうか?」と疑問を投げかけて、「モーツァルトの創造に奇跡があるとしたら、このコンチェルトこそそれである」と述べています。そして、「さらに大きな奇跡は、つづく二つのコンチェルトが・・・同じ高みを保持していることである」と続けています。

これら5つの作品には「名人芸」というものはほとんど必要としません。時には、ディヴェルティメントの中でヴァイオリンが独奏楽器の役割をはたすときの方が「難しい」くらいです。
ですから、この変化はその様な華やかな効果が盛り込まれたというような性質のものではありません。
そうではなくて、上機嫌ではつらつとしたモーツァルトがいかんなく顔を出す第1楽章や、天井からふりそそぐかのような第2楽章のアダージョや、さらには精神の戯れに満ちたロンド楽章などが、私たちがモーツァルトに対して期待するすべてのものを満たしてくれるレベルに達したという意味における飛躍なのです。
アインシュタインの言葉を借りれば、「コンチェルトの終わりがピアニシモで吐息のように消えていくとき、その目指すところが効果ではなくて精神の感激である」ような意味においての飛躍なのです。

さて、ここからは私の独断による私見です。
このような素晴らしいコンチェルトを書き、さらには自らもすぐれたヴァイオリン奏者であったにも関わらず、なぜにモーツァルトはこの後において新しい作品を残さなかったのでしょう。
おそらくその秘密は2番と3番の間に横たわるこの飛躍にあるように思われます。
最初の二曲は明らかに伝統的な枠にとどまった保守的な作品です。言葉をかえれば、ヴァイオリン弾きが自らの演奏用のために書いた作品のように聞こえます。(もっとも、これらの作品が自らの演奏用にかかれたものなのか、誰かからの依頼でかかれたものなのかは不明ですが・・・。)しかし、3番以降の作品は、明らかに音楽的により高みを目指そうとする「作曲家」による作品のように聞こえます。
父レオポルドはモーツァルトに「作曲家」ではなくて「ヴァイオリン弾き」になることを求めていました。彼はそのことを手紙で何度も息子に諭しています。
「お前がどんなに上手にヴァイオリンが弾けるのか、自分では分かっていない」
しかし、モーツァルトはよく知られているように、貴族の召使いとして一生を終えることを良しとせず、独立した芸術家として生きていくことを目指した人でした。それが、やがては父との間における深刻な葛藤となり、ついにはザルツブルグの領主との間における葛藤へと発展してウィーンへ旅立っていくことになります。その様な決裂の種子がモーツァルトの胸に芽生えたのが、この75年の夏だったのではないでしょうか?
ですから、モーツァルトにとってこの形式の作品に手を染めると言うことは、彼が決別したレオポルド的な生き方への回帰のように感じられて、それを意図的に避け続けたのではないでしょうか。
注文さえあれば意に染まない楽器編成でも躊躇なく作曲したモーツァルトです。その彼が、肉体の延長とも言うべきこの楽器による作曲を全くしなかったというのは、何か強い意志でもなければ考えがたいことです。
しかし、このように書いたところで、「では、どうして1775年、19歳の夏にモーツァルトの胸にそのような種子が芽生えたのか?」と問われれば、それに答えるべき何のすべも持っていないのですから、結局は何も語っていないのと同じことだといわれても仕方がありません。
つまり、その様な断絶と飛躍があったという事実を確認するだけです。

針ではなくて、まるでナイフを突き立てられたような痛みを聞き手に強いるモーツァルト


この録音を取り上げようとして気づいたのですが、どうやらレオニード・コーガンをソリストとして取り上げるのはこれが初めてのようです。室内楽演奏のプレーヤーとしては何度か取り上げてはいたようなのですが、考えてみれば、これはとんでもない欠落でした。
何故ならば、このモーツァルトのヴァイオリン協奏曲を聞いてみれば、コーガンというヴァイオリニストがいかに際だった個性を持った人だったかを痛いほどに思い知らされるからです。

私にとって、レオニード・コーガンというヴァイオリニストとの出会いはそれほど幸せなものではありませんでした。
それは、廉価盤のベートーベンのコンチェルト(スヴェトラーノフ指揮 ソビエト国立交響楽団 1969年録音)だったのですが、全く潤いのない響きでキコキコと鋸の目立てをしているかのような音質だったからです。

ところが、久しぶりにそのレコードを奥の方から引っ張り出してきて聞き直してみると、幾つかの勘違いに気づきました。
一つめは、廉価盤だと思っていたのがプライス2300円だったことです。ただし、ぺらぺらの薄くて軽いレコード盤であることには間違いはなく、よくぞこんなものを2300円で売っていたものだと呆れました。
しかし、もう一つの勘違いは、確かに褒められた録音でないことは事実なのですが、鋸の目立てと言うほどには酷い音ではなかったと言うことです。

今から30年ほど昔の私の再生システムのメインスピーカーはダイアトーンの「DS-1000」でした。
この密閉式のスピーカーは素晴らしい解像度を持ったスピーカーではあったのですが、その真価を発揮するには強力な駆動力を持ったアンプとそれなりの使いこなしのスキルが必要な代物でした。
そして、その頃の私にはその二つともに欠如していたのですから、今から思えばまともに鳴るはずはなかったのです。

未だ20代の若者にとって一本10万を超えるスピーカーを買い込みながらまともに鳴らないというのは「悲劇」以外の何ものでもありませんでした。しかしながら、結局は最後まで鳴らし切ることが出来ず、その忌々しいスピーカーは他人にくれてやり、かわりに今も使っているソナス・ファベールに乗り換えたのでした。
それから長い年月の紆余曲折を経ながらも、その「エレクタ・アマトール」だけは今もメインシステムのど真ん中に座り続けています。

そして現在のメインシステムでこのアナログ・レコードを聞き直してみれば、いかにもレオニード・コーガンらしい切れ味の鋭いヴァイオリンの響きが収録されていることに気づくのです。

しかしながら、この事実は一つの懸念を喚起させます。
それは、こういうコーガンのようなヴァイオリンは再生するシステムを選ぶのではないかと心配するのです。そして、場合によっては神経質で耳障りなだけの音楽になってしまう危険性を持っているのではないかという懸念するのです。
そして、その懸念はこのバルシャイと組んだモーツァルトの協奏曲ではより強く感じてしまうのです。

それにしても、これはとんでもないモーツァルト演奏です。
バルシャイがオイストラフと組んで録音した協奏交響曲では、オイストラフの美音が中和剤になっていると書きました。
しかし、バルシャイとコーガンではその目指すべきベクトルは見事に一致しますから、それは2倍どころか2乗になって聞き手に迫ってきます。

吉田秀和はバルシャイのモーツァルトのことを「音が凄いほどに整然としていればいるほど、きいているこちらの耳は、心は、何か金属の棒か、針をあてられたように、痛む。」と評しました。しかし、そこに同じベクトルを持ったコーガンが加わることで、針ではなくてまるでナイフを突き立てられたような痛みを聞き手に強いるのです。
そして、聞き手にしてみれば、一体全体どうしてモーツァルトをこんな風に演奏しなければいけないのだと訝しく思えてくるのです。

しかしながら、これを60年代という時代に置くという「思考実験」をしてみれば、もう一つの風景が見えてきます。
それは、この時代が「前衛音楽」という営みの一つの頂点を為す時代だったことです。
ですから、このモーツァルトはまるで「ゲンダイ音楽」であるかのように響きます。

それは、モーツァルトからロココの服装をはぎ取って丸裸にし、そこに「スタートレック」に登場するスポックのような服装を着せたような音楽になっているのです。
それにしても、ソ連という閉塞した社会でこのような音楽が生み出されたというのは不思議な話です。

それとも、芸術というのはある種の不幸の中でしか前に進まないものなのでしょうか。