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バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番 ト長調 BWV1007


(Cello)エンリコ・マイナルディ:1954年録音をダウンロード

  1. Bach:Cello Suite No.1 in G major, BWV 1007 [1.Prelude]
  2. Bach:Cello Suite No.1 in G major, BWV 1007 [2.Allemande]
  3. Bach:Cello Suite No.1 in G major, BWV 1007 [3.Courante]
  4. Bach:Cello Suite No.1 in G major, BWV 1007 [4.Sarabande]
  5. Bach:Cello Suite No.1 in G major, BWV 1007 [5.Menuett]
  6. Bach:Cello Suite No.1 in G major, BWV 1007 [6.Gigue]

無伴奏チェロ組曲の概要



「組曲」とは一般的に何種類かの舞曲を並べたもののことで、16世紀から18世紀頃の間に流行した音楽形式です。この形式はバロック時代の終焉とともにすたれていき、わずかにメヌエット楽章などにその痕跡を残すことになります。

その後の時代にも組曲という名の作品はありますが、それはこの意味での形式ではなく、言ってみれば交響曲ほどの厳密な形式を持つことのない自由な形式の作品というものになっています。
この二通りの使用法を明確に区別するために、バッハ時代の組曲は「古典組曲」、それ以後の自由な形式を「近代組曲」とよぶそうです。
まあ、このような知識は受験の役に立っても(たたないか・・)、音楽を聞く上では何の役にも立たないことではありますが。(^^;

バッハは、ケーテンの宮廷楽長をつとめていた時代にこの組曲形式の作品を多数残しています。

この無伴奏のチェロ組曲以外にも、無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ、無伴奏フルートのためのパルティータ、そして管弦楽組曲等です。

それにしても疑問に思うのは、この難曲である無伴奏のチェロ組曲を誰が演奏したのかということです。
ヴァイオリンの方はおそらくバッハ自身が演奏したのだろうと言われていますが、チェロに関してはそれほどの腕前は持っていなかったことは確かなようです。
だとすると、ケーテンの宮廷楽団のチェロ奏者がこの曲を演奏したと言うことなのでしょうか。
現代においてもかなりの難曲であるこの作品を一体彼はどのような思いで取り組んだのでしょうか。

もっとも、演奏に関わる問題は作品にも幾ばくかの影響は与えているように思います。
なぜなら、ヴァイオリンの無伴奏組曲と比べると無伴奏チェロ組曲の6曲全てが定型的なスタイルを守っています。

また、ヴァイオリンの組曲はシャコンヌに代表されるように限界を超えるほどのポリフォニックな表現を追求していますが、チェロ組曲では重音や対位法的な表現は必要最小限に限定されています。
もちろん、チェロとヴァイオリンでは演奏に関する融通性が違いますから単純な比較はできませんが、演奏者に関わる問題も無視できなかったのではないかと思います。

それにしても、よく知られた話ですが、この素晴らしい作品がカザルスが古道具屋で偶然に楽譜を発見するまで埋もれていたという事実は信じがたい話です。
それとも、真に優れたものは、どれほど不当な扱いを受けていても、いつかは広く世に認められると言うことの例証なのでしょうか。

第1番ト長調 BWV1007


  1. 前奏曲(Praeludium)

  2. アルマンド(Allemande)

  3. クーラント(Courante)

  4. サラバンド(Sarabande)

  5. メヌエット I/II(Menuetto I/II)

  6. ジーグ(Gigue)



聞くところによると、この組曲は番号が後ろに行くほど難しくなると言われています。ということは、この第1番は最も易しい作品と言うことになります。
確かに、「ト長調」という調性はチェロにとっては指使いが易しいので、数年の「真面目な訓練」に耐えれば何とか演奏は可能になるそうです。

冒頭の前奏曲はこの組曲の中では最も有名であり、第4曲のサラバンドのしみじみとしたメロディはCMにも使われたりしてよく耳にします。
チェロを習い出せば、何とか演奏してみたいと思わせる魅力を持った作品ですね。

第2番ニ短調 BWV1008


  1. 前奏曲(Praeludium)

  2. アルマンド(Allemande)

  3. クーラント(Courante)

  4. サラバンド(Sarabande)

  5. メヌエット I/II

  6. ジーグ(Gigue)



これもまた、1番と同じ程度の難易度で、さらにはこの組曲の中では珍しく瞑想的な雰囲気にあふれているので素人がチャレンジするにはもってこいの作品のようです。
第5曲メヌエットのシンプルにして優雅なメロディなどは実に魅力的です。
ただし、1番と違って第2曲アルマンドの重音奏法がかなり困難ではあるようです。

第3番ハ長調 BWV1009


  1. 前奏曲(Praeludium)

  2. アルマンド(Allemande)

  3. クーラント(Courante)

  4. サラバンド(Sarabande)

  5. ブーレ I/II(Bourree I/II)

  6. ジーグ(Gigue)



組曲の中で最も演奏機会の多い作品がこの3番です。
理由は、ハ長調という調性がチェロにとっては演奏しやすくて、そのために4声和音を生かした低音の響きが容易に引き出せるために演奏効果が上がりやすい、という事情があるようです。

また、細かい音符の流れの中にト音が執拗に繰り返されることからくる効果は絶大で、冒頭の前奏曲に何とも言えない力強さと迫力を与えています。
こう言うのを持続低音(オルゲルプンクト)と言うらしいです。

第4番変ホ長調 BWV1010


  1. 前奏曲(Praeludium)

  2. アルマンド(Allemande)

  3. クーラント(Courante)

  4. サラバンド(Sarabande)

  5. ブーレ I/II

  6. ジーグ(Gigue)



組曲の中では一番地味な作品でしょうか。
しかしながら、演奏技術的には3番までとは一線を画す難しさがあるようです。

第5番ハ短調 BWV1011


  1. 前奏曲(Praeludium)

  2. アルマンド(Allemande)

  3. クーラント(Courante)

  4. サラバンド(Sarabande)

  5. ガヴォット I/II(Gavotte I/II)

  6. ジーグ(Gigue)



ハ短調という調性はチェロにとっては普通に調弦したのでは非常に演奏が困難な調性らしいです。
そのためチェロの最高弦であるA線を1音下げて演奏することが一般化していたのですが、それでは当然のことながら響きが冴えなくなります。

そこで、最近では、本来の響きの美しさを保つために、超絶技巧を持ってして(^^;、通常の調弦で乗り切るのが一般化してきています。
当然のことながら、アマチュア演奏家には用のない作品と言えますが、ハ短調という調性らしい荘重な音楽は実に魅力的です。

第6番ニ長調 BWV1012


  1. 前奏曲(Praeludium)

  2. アルマンド(Allemande)

  3. クーラント(Courante)

  4. サラバンド(Sarabande)

  5. ガヴォット I/II

  6. ジーグ(Gigue)



バッハはこの作品を5弦のチェロで演奏することを想定して作曲しました。
当然のことながら通常のチェロは4弦ですから、ハイポジションを多用した超絶テクニックで乗り切らなければなりません。

もちろん、バッハ時代の5弦のチェロを復元して演奏をしてもいいのですが、それではハイポジションを多用した通常のチェロで演奏したときとは音楽の雰囲気が全く変わってしまいます。
やはり、この作品からイメージされる強い緊張感に満ちた音楽にするためには、超絶テクニックを使った通常のチェロで演奏する必要があるようです。

ただし、ヘタをすると首を絞められたような悲鳴になりかねないので難しいところです。


全てが実にゆったりとした流れの中で時が過ぎていきます


エンリコ・マイナルディというチェリストも長きにわたって私の視野から外れていました。その一番の理由は「音源」があまり出回っていないと言うことに尽きるのでしょう。
しかしながら、彼はその生涯に3度もバッハの無伴奏を録音しています。

40年代の後半にDeccaで、50年代の中頃にArchivで、そして60年代にEurodiscからです。
この中で、Deccaとの録音は5番と6番を残して未完成に終わっているので、全集として完成させたのは2度という事になるのですが、それでもこれだけのオファーを受けるというのは大したものです。

ただし、どういうわけか、それらのレコードはすぐに廃盤となり、CDの時代に入っても最後のEurodiscからリリースされた録音だけが細々と生き残っているだけです。
特に、Archivは何が気にくわなかったのかはよく分からないのですが、マイナルディによる全集を完成させたすぐ後に、フルニエを起用してもう一度バッハの無伴奏を録音しているのです。そして、レーベルとしてはこのフルニエの方をレーベルのカタログに残してマイナルディの録音は廃盤にしてしまいました。

実は、Eurodiscからの録音も売れ行きがあまり良くなかったのでしょうか、すぐに廃盤となってしまったようです。
おかげで、世に出回っているレコードの数がそれほど多くはないので、それらのレコードは中古レコード市場ではかなりの高値がついています。

ネット上を調べた範囲ではArchiv盤が最高値で、全集として全てが揃った完品で30~40万円、Eurodisc盤でも15万円程度の値がついています。Decca盤も第4番を収録した1枚に3万円程度のプライスがついていました。

はてさて、どうしてそんな事になってしまったのかと、このArchiv盤を聞いてみたのですが、第1番の冒頭部分を聞いただけでその理由はすぐに分かりました。
悠然たるテンポで、実に美しく歌うバッハなので、今の時代ならば聞いていて嬉しくなる人が多いと思うのですが、50~60年代というのはこういうバッハは全く受け入れられなかったのです。

それは、ヴァイオリンのヨハンナ・マルティの時と全く同じです。

それにしても、なんという流麗なバッハでしょう。横への流れを至るところでぶつ切りにして、この上もなく厳しく、ゴツゴツしたバッハを造形したシゲティとは180度対極にあるバッハ演奏です。
ところが、このバッハが全く受け入れられなかったのです。
当時、マルティとEMIの辣腕プロデューサー、レッグとの関係は険悪だったようです。全くの想像(妄想?)ですが、レッグは「もっと精神性を前面に出さないと売れない。こんなムード音楽みたいな弾き方は変えろ。」みたいな事を言ったのではないでしょうか?
事実、時代が支持したのはシゲティのバッハであり、こういう「美しいバッハ」は誰も支持せず、LPは全く売れなかったようです。やがて、マルティはレッグと大喧嘩して音楽界から姿を消します。その後消息すら分からなくなり、1978年にわずか54歳でスイスにおいて亡くなったことが最近になって知られるようになりました。


そして、レコードが全く売れなかったと言うことは中古市場に出回るレコードもほとんどないと言うことになり、マルティの場合は100万円を超える値がついた時期もあったように聞いています。

しかし、今の耳からすれば、この悠然たるテンポで紡がれていくバッハがどうして受け入れられなかったのかは理解に苦しみます。
確かに、バッハの時代のお約束から言えば、舞曲の性格は以下のようになっていますから、そのお約束からは大きく逸脱した演奏ではあります。


  1. アルマンド(Allemande):4拍子系のゆったりした曲

  2. クーラント(Courante):3拍子系のやや速い曲

  3. サラバンド(Sarabande):3拍子のゆっくりした曲

  4. ジーグ(Gigue):3拍子系のかなり速い曲



ザックリした分類ではあるのですが、マイナルディの演奏で聞けば全てが「ゆっくりした曲」に聞こえてしまうことは事実です。
「Allemande-Courante-Sarabande」と続いても、全てが実にゆったりとした流れの中で時が過ぎていきますから、なんだか心の襞が全て伸びやかにひらいていくような感覚にとらわれます。
そして、そのゆったりした感覚は最後の「Gigue」になってもそれほど大きく変化することはないのです。

ですから、この演奏は様式論を持ち出してきてケチをつけることはいとも容易いのです。
ましてや、像のダンスのようなカザルスや、ギコギコと鋸の目立てのようなシゲティのバッハが(もちろん、それはそれで素晴らしいのですが、まあ言葉の綾と言うことでご容赦あれm(_ _)m)スタンダードだった時代には、なかなか理解が得られなかった演奏スタイルだったのです。

しかし、誰も彼もが心がささくれ立つような日々を強いられている今の時代から見れば、聞くものの心を伸びやかにしてくれるこのような演奏は実に貴重です。
なんだか、ほっこりと春の日向でひなたぼっこをしているような心持ちにしてくれます。

しかし、そう言う演奏でありながら、カザルスやシゲティとは違うドアから、バッハらしい深い瞑想性という名の「精神性(いつも言っていることでが、実にいい加減な概念です)」の世界に連れ出してくれます。

そしてもう一つ特筆しておかなければいけないのは、このよく響く低音を土台としたマイナルディの音の素晴らしさと、その素晴らしい音を見事にとらえきった録音陣の素晴らしい仕事ぶりについてです。

こういうチェロやコントラバスの低音が好きだという人は意外と多いのですが、そう言う人にとっては涎が出そうなほどの素晴らしい音がここにはあります。
そして、中古レコードの市場というのは需要と供給のバランスで決まりますから、なるほど、このオリジナルLPに高値がつくことは納得がいきます。

いつも思うことですが、一つの価値観で物事を裁断する危うさは常に心しておかなければいけません。
特に、バッハのような許容力の大きな音楽においては、一度は全て受け入れると言うくらいの度量が必要なのかもしれません。