クラシック音楽へのおさそい〜Blue Sky Label〜

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メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 Op.64

(Vn)イェフディ・メニューイン ジョルジュ・エネスコ指揮 コロンヌ管弦楽団 1938年5月2日録音

  1. メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 Op.64 「第1楽章」
  2. メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 Op.64 「第2楽章」
  3. メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 Op.64 「第3楽章」


ロマン派協奏曲の代表選手

メンデルスゾーンが常任指揮者として活躍していたゲバントハウス管弦楽団のコンサートマスターであったフェルディナント・ダヴィットのために作曲された作品です。
ダヴィッドはメンデルスゾーンの親しい友人でもあったので、演奏者としての立場から積極的に助言を行い、何と6年という歳月をかけて完成させた作品です。

この二人の共同作業が、今までに例を見ないような、まさにロマン派協奏曲の代表選手とも呼ぶべき名作を生み出す原動力となりました。
この作品は、聞けばすぐに分かるように独奏ヴァイオリンがもてる限りの技巧を披露するにはピッタリの作品となっています。

かつてサラサーテがブラームスのコンチェルトの素晴らしさを認めながらも「アダージョでオーボエが全曲で唯一の旋律を聴衆に聴かしているときにヴァイオリンを手にしてぼんやりと立っているほど、私が無趣味だと思うかね?」と語ったのとは対照的です。

通常であれば、オケによる露払いの後に登場する独奏楽器が、ここでは冒頭から登場します。
おまけにその登場の仕方が、クラシック音楽ファンでなくとも知っているというあの有名なメロディをひっさげて登場し、その後もほとんど休みなしと言うぐらいに出ずっぱりで独奏ヴァイオリンの魅力をふりまき続けるのですから、ソリストとしては十分に満足できる作品となっています。
しかし、これだけでは、当時たくさん作られた凡百のヴィルツォーゾ協奏曲と変わるところがありません。
この作品の素晴らしいのは、その様な技巧を十分に誇示しながら、決して内容が空疎な音楽になっていないことです。これぞロマン派と喝采をおくりたくなるような「匂い立つような香り」はその様なヴィルツォーゾ協奏曲からはついぞ聞くことのできないものでした。

また、全体の構成も、技巧の限りを尽くす第1楽章、叙情的で甘いメロディが支配する第2楽章、そしてファンファーレによって目覚めたように活発な音楽が展開される第3楽章というように非常に分かりやすくできています。

確かに、ベートーベンやブラームスの作品と比べればいささか見劣りはするかもしれませんが、内容と技巧のバランスを勘案すればもっと高く評価されていい作品だと思います。


メンデルスゾーンのコンチェルトは戦後にも何度か録音を残していますが、シビアに見ればこの若い時代の録音がベストかもしれません。


「神童」という言葉は安易に使われることが多いのですが、その言葉を額面通りに受け取ってよい希有な存在の一人がこのメニューヒンでした。
かれは、ジョルジュ・エネスコに師事するためにパリに移り住み、「神童」が二十歳を過ぎたら「只の人」になってしまわないように一歩踏み出します。
そして、エネスコもまたその才能に惚れ込んで支援を惜しまなかったのです。

エネスコはメニューヒンをさらに成長させるために、それほど得意とは言えない指揮を買って出て、1931年に開設されたロンドンのアビー・ロード・スタジオで多くの録音を残すことになります。
そして、それが「神童」としての輝きを今に伝える貴重な記録となったのです。
そして、メニューヒンはこの輝きを背負いながら残された音楽家としての人生を真摯に歩み続けたのです。

確かに、メニューヒンは「神童」から抜け出して大人の「芸術家」になるために大変な苦労をしました。
この「苦労」を乗り越えることが出来ない人があまりにも多いために、クラシック音楽の世界では「神童」という言葉があまりにも安易に使われる反面、それは「否定的」なニュアンスを持って使われることが多いのです。

確かに、人によっては、メニューヒンは幼い時期の基礎訓練が足りなかったために大人になるにつれて駄目になったという人もいます。
例えば、このメンデルスゾーンのコンチェルトは戦後にも何度か録音を残していますが、シビアに見ればこの若い時代の録音がベストかもしれません。
これが、SP盤の時代にはメンコンの決定盤だとされていたのは消して間違いではなかったのです。

しかし、音楽に全人格を傾けて取り組む姿勢をエネスコから学ぶことで、その生涯を振り返ってみればやはり偉大な音楽家であったと蓋棺録に記される存在となり得たことも事実です。