クラシック音楽へのおさそい〜Blue Sky Label〜

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ラフマニノフ:チェロ・ソナタ ト短調 作品19

(Cello)ザラ・ネルソヴァ (P)アルトゥール・バルサム 1956年録音

  1. ラフマニノフ:チェロ・ソナタ ト短調 作品19「第1楽章」
  2. ラフマニノフ:チェロ・ソナタ ト短調 作品19「第2楽章」
  3. ラフマニノフ:チェロ・ソナタ ト短調 作品19「第3楽章」
  4. ラフマニノフ:チェロ・ソナタ ト短調 作品19「第4楽章」

何の恐れもなく自らのイメージを広げている

第1交響曲の大失敗でラフマニノフが精神的危機に陥ったことは有名な話です。
そして、その精神的危機を催眠療法で克服したことも有名な話で、それが「ピアノ協奏曲第2番」に結実したことはさらに有名な話です。

しかし、そんな有名なエピソードのすぐ後に、このチェロ・ソナタが生み出されたことは殆ど知られていません。

おそらく、ラフマニノフのチェロ・ソナタと聞いて、「ラフマニノフってチェロ・ソナタなんか書いてました?」と言われるに決まっています。
しかし、「ピアノ協奏曲第2番」の作品番号は18で、このチェロ・ソナタの作品番号は19なのです。

おそらく、協奏曲の成功で憑きものが取れたように、溢れるように次の作品が生まれてきたのでしょう。
そして、ラフマニノフはピアノの人でもあるのですが、歌う人でもあるので、この歌う楽器であるチェロとピアノの組み合わせというのはもっとも自然な形だったのかもしれません。

ロマンティックな第1楽章と第3楽章の間に挟まれた第2楽章の荒らしさなどを聞くと、ここでは何の恐れもなく自らのイメージを広げていることがよく分かります。彼の協奏曲や交響曲に過剰なまでの甘さを感じる人がいれば、是非とも1度は聞いてほしい作品です。

チェロ・ソナタ ト短調 作品19



  1. レント - アレグロ・モデラート

  2. アレグロ・スケルツァンド

  3. アンダンテ

  4. アレグロ・モッソ



淡麗辛口のチェリスト


この人も今となってはかなり忘却の彼方にあるチェリストです。
1918年にカナダのウィニペグで生まれ、2000年にニューヨークで亡くなっていますから、それなりに長生きをした人なのですが、1963年からジュリアード音楽院で教えはじめたことで、活動の重心がソリストから教育に移ったのでしょう。

面白いのは、カナダで生まれてアメリカで亡くなっているので、活動は北米が中心かと思えばさにあらず、どちらかと言えばヨーロッパでの活動がメインだったようです。40年代から50年代にかけてはDECCAでまとまった録音を残していますし、それ以後もベルリンを中心に録音活動を行っています。
それとネルソヴァと言えばエルガーのチェロ協奏曲を熱心に演奏したことでも知られています。

不思議だなと思って、あらためて経歴を眺めていますと、1928年に一家でイギリスに移住しているのですね。ですから、カナダ生まれのイギリス育ちというのが正しいのかもしれません。
しかし、そのイギリス移住後に姉妹で「カナディアン・トリオ」というコンビを組んでは世界中を演奏して回ったりもしているので、カナダ人というアイデンティティは失っていなかったようです。

そして、そんな活動の中でバルビローリと知り合って、その紹介でカザルスにつながっていきます。
このカザルスと知り合い、そこからさらにフォイアマンやピアティゴルスキーに学ぶ機会を得たことが、彼女を情念先行の「甘い」女流チェリストにしませんでした。

私も彼女の演奏をそれほど聴いたわけではないのであまり確かなことは言えないのですが、一言で言えば「淡麗辛口」、決してべたついた甘さで誤魔化すことのない演奏だと思います。
おかしな言い方かもしれませんが、チェロの響きの輪郭線がはっきりしていて(DECA録音だから?)、ロマンティックに歌う場面でも決して甘さに溺れることのないチェロです。その美質は、このラフマニノフの演奏にもよくあらわれています。

彼女は1963年から亡くなる2000年までジュリアードで教えていたそうなのですが、きっと「恐い先生」だったろうなとそう想像されます。
なお、この録音では伴奏ピアニストとして有名だったバルサムが相手をつとめているのですが、いつものように「ただの伴奏」になっていないあたりはさすがはバルサムです。

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