クラシック音楽へのおさそい〜Blue Sky Label〜

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バッハ:4台のチェンバロ協奏曲 イ短調 BWV1065

カール・リヒター(Cemb&指揮) (Cemb)エドゥアルト・ミュラー & ゲルハルト・エッシュバッハー & ハインリヒ・グルトナー アンスバッハ・バッハ週間のソリストたち 1955年録音

  1. バッハ:4台のチェンバロ協奏曲 イ短調 BWV1065「第1楽章」
  2. バッハ:4台のチェンバロ協奏曲 イ短調 BWV1065「第2楽章」
  3. バッハ:4台のチェンバロ協奏曲 イ短調 BWV1065「第3楽章」

バッハは編曲でも凄い

バッハは少しでもよい条件の働き口を探し続けていた人なのですが、その最後の到着点はライプツィヒの聖トーマス教会のカントルでした。
この仕事は、教会の仕事だけでなく、ライプツィヒ市の全体の音楽活動に責任を負う立場なので、バッハにとってはかなりの激務だったようです。そんな、疲れる仕事の中で喜びを見出したのが「コレギウム・ムジクム」の活動でした。
「コレギウム・ムジクム」は若い学生や町の音楽家などによって構成されたアマチュア楽団で、当時のライプツィヒ市では結構人気があったようです。通常の時期は毎週1回の演奏会、見本市などがあってお客の多いときは週に2回も演奏会を行っていたようです。
バッハは、このアマチュア楽団の指導と指揮活動を1729年から1741年まで(中断期間があったものの)務めています。

ここで紹介している一連のチェンバロ協奏曲は、すべてこのアマチュア楽団のために書かれたものです。
ただ、バッハにしては不思議なことなのですが、そのほとんどがオリジナルではなくて、自作または、他の作曲家の作品を編曲したものなのです。しかし、公務ではなくてどちらかと言えば自らも楽しみながらの活動であったことを考えれば、すべてオリジナル作品で気楽に演奏するのは、さすがのバッハでも大変だったでしょう。
しかし、「編曲」とは言っても、その手練手管は見事なものです。
残念ながら、原曲となった作品の多くは紛失しているものが多いので、直接比較するのは難しいのですが、それでもチェンバロの特徴をうまくいかして見ごとな作品にリニューアルいています。

原曲の多くはヴァイオリン曲です。
ヴァイオリンとチェンバロでは音域が違いますし、何よりも持続音が前者は得意、後者は根本的に不可能という違いがあります。ですから、長い音符はすべて細かく分割されて、さらには装飾音符も華やかに盛り付けられて、実に精妙な響きを生み出しています。
不思議なことに、このような協奏曲形式の大家ともいうべきヴィヴァルディは1曲もチェンバロのための協奏曲を残していません。その意味では、鍵盤楽器であるチェンバロに主役の座を与え、後のピアノ協奏曲への入り口を開いたのは、これらの編曲によるチェンバロ協奏曲だといえます。ですから、オリジナルではない編曲バージョンだとはいえ、その価値が低くなることはありません。

とりわけ、第1番というナンバーが与えられているBWV1052は規模も大きくモーツァルトの協奏曲と比べても遜色のない作品です。そのため、この作品だけは「チェンバロ」という楽器が忘れ去られた時代にあっても「ピアノ協奏曲」として演奏され続けました。
やはり、バッハは凄いのです。

4台のチェンバロ協奏曲 イ短調 BWV1065

協奏曲という形式においてバッハはヴィヴァルディに多くのものを負っています。それ故に、忘れ去られていたヴィヴァルディは18世紀にバッハが復活するのと歩調を揃えてもう一度思い出されることになります。
この4台のチェンバロによる協奏曲も、原曲はヴィヴァルディの4台のヴァイオリンのための協奏曲(RV580)であることが分かっています。

バッハが関わったコレギウム・ムジクムではチェンバロによる協奏曲が人気を博するのですが、とりわけ複数のチェンバロを使った協奏曲がその華やかさゆえに人気が高くなります。
バッハは残された遺産目録によって大型のチェンバロを4台所有していたことが知られています。
そこで、この4台のチェンバロをフルに活用した協奏曲を演奏する事になり、原曲としてヴィヴァルディの作品を選択したのでしょう。

また、3台のチェンバロによる協奏曲の項でも述べたのですが、この時期になると息子たちの力量も上がってきていて、バッハにひけをとらないほどになってきていました。そこに、技量に優れた弟子をもう一人追加すれば、4台全てがソロ・パートを分担するような作品に仕上げても演奏が可能でした。
こういう複数の楽器で協奏曲を構成すると、2台目、3台目が添え物的な扱いになることがよくあります。
しかし、ここでは色々なエピソードを4台のチェンバロが同時に、あるいは様々に組み合わせをかえて協奏的に進行していきます。第2楽章では4台のチェンバロが同時に様々なアーティキュレーション分散和音を演奏する場面もあります。4台もチェンバロを使うのだから、一台くらいは添え物的扱いでいいだろう、などとは絶対に考えないのです。

ここでは、ほぼ等しい力量を持つ4人のソリストによる協奏曲になっていますから、演奏会では非常な好評を博したものと想像されています。もちろん、演奏会に様子は記録には残ってはいないのですが、この作品の筆写譜が数多く残されていることがそれを証明しています。人気のない作品ならば誰も筆写などはしないのであって、それが多く残されているということは、それはそのまま作品の人気度を表します。


  1. 第1楽章:[no tempo indication]

  2. 第2楽章:Largo

  3. 第3楽章:Allegro



小さな町で終わる器でない


ハープシコードもリヒター、指揮もリヒター、そしてオケは気心の知れた仲間達です。

ちなみに、「アンスバッハ・バッハ週間」とは聞きなれない言葉ですが、1947年に指揮者のフェルディナント・ライトナーが中心となって始められた音楽祭のことです。リヒターはこの音楽祭の芸術監督を1955年から1964年までつとめていました。
ここまで駒が揃えば、それはもうリヒターの意志が隅から隅まで徹底したバッハにならない方が不思議です。結果として、とてもじゃないが気楽に聞き流せるような音楽にはなっていません。

作品紹介のところでも書いたのですが、一連のチェンバロ協奏曲はアマチュア楽団のために書かれたものです。さらに言えば、それらは全てオリジナルではなくて、自作または、他の作曲家の作品を編曲したものです。もちろん、その編曲の手練手管は見事なものなのですが、基本的には傍流に属する作品群です。
ですから、何もここまでムキになって自分の主張を押し出さなくてもいいのにと思うのですが、録音が55年という事を考えればそれも仕方のなかったことなのでしょう。
これから先どうなるかも分からない自分たちのチャレンジを実らせるためには、どんな仕事でも持てる力の全てを注ぎ込まざるを得なかったのでしょう。

しかし、中国の古い諺に「鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん」というのがあります。

これは孔子の弟子である子游が小さな町の長になったときに、孔子の教えの通りにその町で音楽を響かせていたことからきた諺です。
孔子は国の基本として教えていた礼楽がその小さな町でで鳴り響いているのを聞いて「鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん」と冗談を言ったそうです。

しかし、この孔子の言葉には、子游は小さな町の長におさまる器ではなく、いつか一国の宰相となるほどの器であることを仄めかした言葉だとも言われています。
そう思えば、ミュンヘンという町の小さな音楽グループとして始まったリヒターとその仲間達も、こういう小さな町で終わる器でないという事を示した録音と言うことで、「鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん」と言っていいのかもしれません。

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