クラシック音楽へのおさそい〜Blue Sky Label〜

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モーツァルト:ホルン協奏曲第2番 変ホ長調 K417

(Hr)デニス・ブレイン ワルター・ジュスキント指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1946年3月27日録音

  1. モーツァルト:ホルン協奏曲第2番 変ホ長調 K417 「第1楽章」
  2. モーツァルト:ホルン協奏曲第2番 変ホ長調 K417 「第2楽章」
  3. モーツァルト:ホルン協奏曲第2番 変ホ長調 K417 「第3楽章」


ロイドゲープに感謝!

モーツァルトは生涯に4曲のホルン協奏曲を書き残しています。そして、この4曲はレパートリーの少ないホルン奏者にとってはかけがえのない4曲になっています。
モーツァルトはこの4曲を、すべて彼の年上の友人であるロイドゲープのために作曲しています。
ロイドゲープは1760年頃にザルツブルグの宮廷楽団のホルン奏者として雇われ、それがきっっけとなってモーツァルトの一家とのつきあいが始まります。モーツァルトはこの22歳も年上のホロン奏者によくなつき、成長してからもお互いに軽口をたたき合う友人としてのつきあいが続きます。
そんなロイドゲープも1777年にザルツブルグを離れてウィーンに移り住みます。彼はそのウィーンにおいて音楽家として成功するために何人かの作曲家にホルン協奏曲を依頼します。もちろん、その依頼は友人であるモーツァルトに対してもなされるのですが、モーツァルトがその友人からの依頼に応えることができたのは、彼自身もザルツブルグの大司教と決定的な決裂をした後にウィーンに移ってきてからでした。

従来、この4曲の作品は第1番とナンバーリングされたニ長調の作品が一番最初に作曲された思われていました。おそらくは、1781年にモーツァルトがウィーンに移り住んだその翌年に作曲されたと思われていたのです。
しかし、最近の研究でその定説は覆され、このニ長調の協奏曲は1790年に着手されて、そしておそらくは彼の死によって中間楽章が作曲されないままに未完成に終わった作品だと言うことが明らかになりました。そして、モーツァルトの最後の作品がこのニ長調協奏曲であると認められるようになったのです。

よく知られていることですが、この第1番の協奏曲にユニークな演奏指示が書き込まれています。
「ゆっくりと ー お馬鹿さん ー 勇気を出して ー 速く ーがんばれ ー元気を出して」というような雰囲気です。そして、最後には「おかげさまで、もういい、もういい」と記されています。
死を目前にしながらも、彼は作品のあちこちにロイドゲープに対する親愛の情を表明しているのです。さらに、彼はこの作品を他の3作品とはことなって変ホ長調ではなくてニ長調で書くことによって、年老いたロイドゲープの負担を少なくしています。さらには、注意深く聞いてみるとすぐに気づくことなのですが、ホルンが吹いているときにはオケの管楽器はいっさい割り込んでこないように配慮もされています。
そして、この作品がモーツァルトの最後の作品だと思えば、そのような一つ一つの配慮の背後に死を目前にした彼のロイドゲープに対する限りない親愛の情を感じ取らざるをえません。

そういうわけで、モーツァルトがロイドゲープのために初めて作曲したのは、今日ではK417の第2番ということになっています。
ここには、ロイドゲープに対して長く待ってもらったことをわびながらも、「モーツァルトがロイドゲープを憐れみ、マヌケでトンマで阿呆な彼のために作曲」と書き込んでいます。まあ、そういうことをいつも二人で言い合っていたんでしょうね。(^^;

さて、この作品には、その後の作品にも共通するスタイル、「おおらかな第1楽章」「優美な中間楽章」「活発なロンド最終楽章」というスタイルができあがっています。

続く2番目の作品は、今日では第4番とナンバーリングされているK495です。
モーツァルトはここでもロイドゲープに対する茶目っ気を発揮して、彼に渡す楽譜を何色ものインクを使って総天然色で書き上げるといういたずらをしています。演奏する側からすれば迷惑この上ない話ですが、そういう困り顔のロイドゲープを想像しながら、一生懸命インクをとっかえひっかえしながら書き上げているモーツァルトを想像するとこちらの方まで笑えてきます。

そして、第3番目の作品が、おそらくはモーツァルトのみならず、古今東西を通じてのホルン協奏曲の最高傑作と言っていいK447の協奏曲です。
この作品の大きな特徴の一つはオーボエに変えてクラリネットが採用されていることです。さらに、すでに老境に入りつつあったロイドゲープに対する配慮から演奏のしやすさに徹底的に配慮していることです。
当時のナチュラルホルンでは出しにくい音や演奏者に負担の大きい高音域の使用は徹底して排除されています。しかし、それにも関わらず、これほどまでに独奏ホルンとオーケストラが緊密に結びついて一つの音楽を醸し出している作品は他にはちょっと思いつきません。ここには、ホルンによる名人芸はありませんが、逆にそのような側面を徹底的に排除したからこそ、真に素晴らしい音楽の世界が展開されます。とりわけ、「ロマンツェ」と題された第2楽章の優しさにあふれた音楽はこの上もなく魅力的です。

私たちは、ホルン協奏曲という、決してレパートリーに恵まれているとはいえないこのジャンルに、かくも素晴らしい作品を4曲も送り出すきっかけを作ってくれたロイドゲープに対して心よりの感謝を表明しなければなりません。

真摯に音楽と向き合おうとする一人の男の姿


聞くところによると、ホルンという楽器は正確に音を出すことが非常に難しい楽器らしいです。もっとも、他人から聞かなくても、ソロを前にしたときのホルン奏者の不安そうな表情を見ていれば概ね察しはつきます。その日のプログラムがブルックナーの4番なんかだった日には、それこそ「体調不良により本日欠席」と言いたくなることでしょう。

ホルンの難しさはグルグル巻きになった管の長さと、それに似合わぬマウスピースの小ささに由来するそうです。構造的にきわめて不安定で、一発で音程を安定させるのが非常に困難なので、吹き始めで音を外す確率が非常に高い楽器です。
さらに困るのが高音域です。同じ指使いでいくつもの音が出ますから、ちょっとした加減の違いで間違って隣の音が出てしまいます。

しかし、そう言う不自由さと引き替えに、他の金管楽器にはない独特の音色が大きな魅力となっています。ホルンは金管楽器に分類されるのですが、そのふくよかでふっくっらとした響きは木管楽器を思わせるものがあります。言ってみれば、金管と木管のいいとこ取りをしたような魅力がホルンにはあるのです。
ですから、そう言う魅力のある響きのホルンを、まるでクラリネットやオーボエのように自由自在に吹きこなしてくれれば、その名人芸には拍手喝采なのです。

そう言う意味において、デニス・ブレインは唯一無二の存在でした。1950年代においては、それは疑いもない事実でした。

しかし、音楽教育のレベルが上がり、さらには録音がアナログからデジタルに移行することで、演奏家の技術は飛躍的に向上しました。
とりわけ底辺のレベルが大きく向上した事は疑いがなく、その成果を最も享受したのがオーケストラでした。これは今さら繰り返す必要もなく、80年代以降のオーケストラの技術的向上はめざましいものがあります。ただし、その結果として指揮者が個性を主張しづらくなり、結果として平均点は高いものの小利口な演奏ばかりがはびこることになりました。

しかし、その様な技術的向上の中で、頂点の部分はどうだったのでしょうか?
ヴァイオリンのハイフェッツ、ピアノのホロヴィッツ、そしてホロンのでニス・ブレイン。
名人と呼ばれたた彼らの芸は、今の時代から見れば技術的にはもはや過去のものになったのでしょうか。

答えは明らかに「NO!」です。

しかしながら、50年代においては飛び抜けた存在だった彼らに、技術的には互角に肩を並べる存在は登場してきています。その意味では、彼らはもはや「神」ではありません。
ホルンで言えば、ベルリンフィルみたいなトップ・オケの首席を務めるような連中の中には、疑いもなくブレインと肩を並べるホルン奏者がいます。しかし、これもまたオケの時と同じで、技術的完成だけで事が成り立つほど音楽というものは底が浅くはありません。うまいとは思うものの、結局最後まで心に残るのはブレインの録音です。

確かに、1957年9月、エディンバラ音楽祭からの帰路にトライアンフTR2とともにこの世を去ることでブレインの存在は「伝説」となり、その「伝説」ゆえに彼の録音は「神話化」されていると見る向きもあるでしょう。しかし、そう言う音楽以外のことを一切心から排除して、虚心坦懐に彼の音楽に耳を傾けてみれば、そこで聞こえてくるのは譜面台の上に自動車関係の雑誌を載せていたやんちゃ坊主の姿ではなく、何処までも真摯に音楽と向き合おうとする一人の男の姿です。

そんな男が残した録音を、いかに古いものであっても紹介しておくのがこのようなサイトの役割でしょう。
この若きホルン奏者の名を広く世に知らしめたのが、1944年録音のベートーベンのホルンソナタです。


  1. ベートーベン:ホルンソナタ ヘ長調 作品7:(P)Denis Matthews 1944年2月21日録音



この録音はもしかしたら、ヒストリカル音源を楽しめるかどうかのリトマス試験紙かもしれません。SP原盤時代の録音ですからパチパチノイズは満載ですが、そのノイズの向こう側に驚くほど明瞭にホルンとピアノの響きがとらえられています。
ここで、どうしてもパチパチノイズが気になって音楽が楽しめないという人は、無理をせずにヒストリカルの世界とは縁を切った方がいいでしょう。しかし、最初は気になっても、聞き進めていくうちにホルンとピアノの響きに魅了されテイクという人は、どんどんとこのディープな世界ニアしに踏み込んでいっても、人生における貴重な時間の無駄遣いとはならないでしょう。

それと比べれば、40年代に録音されたモーツァルトの二つの協奏曲と、リヒャルト=シュトラウスの協奏曲ははるかに聞きやすく仕上がっています。ベートーベンのソナタが気にならない人ならば全くのノープロブレムでしょうし、そちらが気になってもこちらが気にならないのならば、この辺りを下限としてヒストリカルの世界を辿ればいいでしょう。


  1. モーツァルト:ホルン協奏曲第2番 K417:ワルター・ジュスキント指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1946年3月27日録音

  2. モーツァルト:ホルン協奏曲第4番 K495:マルコム・サージェント指揮 ハレ管弦楽団 1943年11月21日録音(意外と雑音少ない)

  3. R.シュトラウス:ホルン協奏曲第1番 変ホ長調 作品11:アルチェロ・ガリエラ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1947年5月21日録音



当然の事ながら、1956年に録音されたリヒャルト=シュトラウスの二つの協奏曲ならば、ネックは「モノラル録音」だということだけです。


  1. R.シュトラウス:ホルン協奏曲第1番 変ホ長調 作品11:ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1956年9月23日録音

  2. R.シュトラウス:ホルン協奏曲第2番 変ホ長調:ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1956年9月23日録音



ただし、この「モノラル」であると言うことがどうしても我慢できないという人がいれば、それはもうヒストリカルの世界とは無縁と言うことになるでしょう。それは、事の良し悪しではなくて、己の心が拒否するもののために時間を費やすことができるほど人生は長くはありません。

しかし、これもまたもう一つの真実だと思うのですが、人は必ず変わります。特に、年を兼ねれば、今まで見向きもしなかったものが急に美味しく思えることがあります。
ブレインが残したこれらの録音は疑いもなく、クラシック音楽の演奏史における一つのランドマークです。ですから、こういう古い録音を今は心が拒否しても、できれば何年かの時を隔てて、時には思い出したように聞き直してみれば、その音楽が貴方の心をとらえるときが来るかもしれません。

<追記>
この録音指揮者が「マルコム・サージェント(ローレンス・ターナー)指揮」というおかしな表記になっています。調べてみると、第1楽章の途中でサージョンの時間が無くなり、残りをコンサート・マスターのローレンス・ターナーが指揮したためらしいです。
バルビローリが就任する前で、BBCノーザン管弦楽団と楽員の半数を共有していた「古いハレ」と言われていた時代の話です。