クラシック音楽へのおさそい〜Blue Sky Label〜


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ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調 「ワー グナー」


ハンス・クナッパーツブッシュ指揮 ウィーンフィル 1954年4月1日~3日録音をダウンロード

  1. ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調 「ワー グナー」「第1楽章」
  2. ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調 「ワー グナー」「第2楽章」
  3. ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調 「ワー グナー」「第3楽章」
  4. ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調 「ワー グナー」「第4楽章」

ブルックナーというのは試金石のような存在でした。



吉田秀和氏が50年代に初めてヨーロッパを訪れたときのことを何かに書いていたのを思い出します。

氏は、「今のヨーロッパで聞くべきものは何か」とたずねると、その人は「まず何はおいてもクナッパーツブッシュのワーグナーとブルックナーは聞くべきだ」と答えます。そこで、早速にクナが振るブルックナーを聞いてみたのですが、これがまたえらく単純な音楽が延々と続きます。とりわけスケルツォ楽章では単調きわまる3拍子の音楽が延々と続くので、さすがにあきれてしまって居眠りをしてしまいました。ところが、再び深い眠りから覚めてもまだ同じスケルツォ楽章が演奏されていたのですっかり恐れ入ってしまったというのです。

そして、その事をくだんの人に正直に打ち明けると、その人は、「日本人にはベートーベンやブラームスが精一杯で、ブルックナーはまだ無理だろう」と言われたというのです。

50年という時の流れを感じさせる話ですが、ことほど左様にブルックナーの音楽を日本人が受容するというのは難しいことでした。
いや、歴史をふりかえってみれば、ヨーロッパの人間だってブルックナーを受容するのは難しかったのです。

あまりにも有名なエピソードですから今さらとも思われるのですが、それでも知らない人は知らないわけですから簡潔に記しておきましょう。

初演というのは怖いもので、数多のスキャンダルのエピソードに彩られています。その中でも、このブルックナーの3番の初演は失敗と言うよりは悲惨を通り越した哀れなものでした。
ブルックナーはこの作品をワーグナーに献呈し、献呈されたワーグナーもこの作品を高く評価したためにウィーンフィルに初演の話を持ち込みます。そして、友人のヘルベックの指揮で練習が始められたのですが、わずか1回で「演奏不可能」としてその話は流れてしまいます。
しかし、指揮者のヘルベックはあきらめず、ワーグナー自身も第2楽章のワーグナー作品の引用などを大幅にカットすることによって作品を凝縮させることで、再び初演に向けた動きが現実化し始めます。ところが、そんな矢先にヘルベックがこの世を去ってしまいました。
そこで、仕方なくブルックナー自身の指揮で初演を行うようになってしまったのです。

ブルックナーの指揮はお世辞にも上手いといえるようなものではなく、プロの指揮者のもとで演奏することになれていたウィーンフィルにとってはまさに「笑いもの」といえるような指揮ぶりだったようです。
そんな状態で初演の本番をむかえたわけですから演奏は惨憺たるもので、聴衆は一つの楽章が終わるごとにあきれ果てて席を立っていき、最終楽章が終わったときに客席に残っていたのはわずか25人だったと伝えられています。
そして、その25人の大部分もその様な酷い音楽を聴かせたブルックナーへの抗議の意志を伝えるために残っていたのでした。ウィーンフィルのメンバーも演奏が終わると全員が一斉に席を立ち、一人残されたブルックナーに嘲笑が浴びせかけられました。

ところが、地獄の鬼でさえ涙しそうなその様な場面で、わずか数名の若者が熱烈にブルックナーを支持するための拍手を送りました。その中に、当時17才だったボヘミヤ出身のユダヤ人音楽家がいました。
彼の名はグスタフ・マーラーといいました。
あまりにも有名なエピソードです。

この、なんだか訳の分からないブルックナーの音楽を日本に紹介する上で最も大きな功績があったのが朝比奈と大フィルとのコンビでした。
彼らは、マーラーブームやブルックナーブームがやってくるずっと前から定期演奏会でしつこく何度もブルックナーを演奏していました。そして、その無謀とも思える試みの到達点として1975年のヨーロッパ演奏旅行における伝説の聖フローリアンでの演奏が生まれます。

このヨーロッパ演奏旅行で自信を深めた彼らはその帰国後にジャンジャンという小さなレーベルで2年をかけてブルックナーの交響曲全集を完成させます。このレコードはその後「幻のレコード」として中古市場でとんでもない高値で取引されるようになり、普通の人では入手が困難になっていたのですが、数年前に良好な状態でCD化されてようやく私のようなものでも手元にも届くようになりました。

そして、手元に届いたジャンジャン盤のCDの中から真っ先にとりだして聞いてみたのがこのブルックナーの3番「ワーグナー」でした。

理由は簡単です。
私が生まれて初めて生で聞いたブルックナーが朝比奈&大フィルによるブル3だったからです。
そのときのコンサートの感動は今も胸の中に残っています。

クラシック音楽を聴き始めた頃の私にとって吉田大明神の文章はまさにバイブルでしたから、「ブルックナーというのは難しい音楽だ」という身構えた気持ちで出かけました。
ところが、朝比奈と大フィルが作り出す音楽には難しさや晦渋さなどは全く感じませんでした。それどころか、そこで展開された音楽はヨーロッパの大聖堂を思わせるような「壮麗」の一言に尽きるような素晴らしいものでした。

私はその一夜の経験ですっかりブルックナーが大好きになってしまい、その後次々とブルックナーのLP(CDではなくLPの時代でした)を買いあさるようになったのでした。
そんな思い出を懐かしみながら再生したジャンジャン盤のブル3はお世辞にも上手いとはいえない演奏でした。しかし、その演奏にはブルックナーへの深い愛と献身が満ちていました。
こういう演奏に技術的な批評など何の意味もありません。

これより上手いブルックナー演奏なら掃いて捨てるほどあります。ブルックナーに対する深い尊敬を感じさせる演奏も少なくはありません。
しかし、これほど深い献身を感じさせる演奏は私は知りません。
初演の舞台で嘲笑をあびながら一人孤独に立ちつくしたブルックナーが、それから100年を経た東洋の島国でこのような演奏がなされたことを知れば、どれほどの深い感謝を捧げたことでしょう。

そして、その様な朝比奈&大フィルのコンビとともにクラシック音楽に親しんでこれたことが、私にとっても最も幸福な思い出の一つとなっています。



3日間もよくぞ我慢した。


クナは同じ年に、バイエルン国立歌劇場管弦楽団を相手に演奏したブルックナーの3番が残されています。ライブ録音と言うこともあるのか、いささか気乗りのしないような出だしで、クナらしい雄大な音楽にはなりきれていません。それと比べると、こちらのウィーンフィルとのセッション録音は音質面でも演奏面でもなかなかに魅力的な仕上がりになっています。

モノラル録音ではあるのですが、この頃のデッカ録音は本当に優秀です。
昨今のハイエンドオーディオは音像よりは音場優先なので、録音もそちら優先のものが主流となっています。
結果として、楽器一つ一つのガッツのある響きが丸め込まれてみんな行儀良くステージの上で前にならへ!をしています。もちろん、それはそれはそれで、然るべき再生システムで聞けば魅力的ではあるのですが、時には一つ一つの楽器の音がゴツーンと前に出てくるようなごっついかんじの音が聞きたくるときもあります。

この後のマーキュリーレーベルほどではありませんが、それでもこの時代のデッカ録音はそう言う願いを叶えてくれる魅力はあります。
とりわけ、第1楽章のゴツゴツしたアルプスの峰を思わせるような音楽は実に見事です。

ただ、それよりも面白いと思ったのそれに続く「第2楽章(アダージョ)」です。
当然、ここはゲルマンの森を思わせるような音楽にのかと思いきや、音楽はまるで日本のブナの原生林を思わせるような美しさなのです。

ブナの原生林というのは経験したことがある人ならば分かると思うのですが、日も差しこまない鬱蒼とした森というのではなく、常に明るい日の光が溢れている森です。
そして何よりも、その葉が一般的な常緑樹と較べれば薄いために、その日の光と葉の緑が混ざり合う事で生み出される木洩れ日の美しさは出色なのです。
ここでのクナの音楽もまた、その様な明るい美しさに満ちています。

ただ、残念なことに、第3楽章にはいると、そう言うクナの緊張感が次第に緩んでくるのが手に取るように分かります。最終楽章ではさらにテンションが下がってきています。
調べてみれば、この録音は4月1日から3日にかけて行われています。

クナにしてみれば、よくぞ3日間も我慢したものです。この録音嫌いの男をよくぞ3日間も閉じこめていたものです。
ただ、明らかに嫌気がさしていますね。

考えようによっては、そんな我が儘が通ったところにこそ、黄金の50年代の素晴らしさの厳選があったのでしょう。
みんながみんな、誰も彼もがお利口になって要求されたことをそつなくこなす時代は効率的ではあっても、人を驚かすような生み出さないのかも入れません。