クラシック音楽へのおさそい〜Blue Sky Label〜


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シェーンベルク:弦楽四重奏曲第4番 作品37


ジュリアード弦楽四重奏団:1952年5月16日、22日,7月31日録音をダウンロード

  1. シェーンベルク:弦楽四重奏曲第4番 作品37「第1楽章」
  2. シェーンベルク:弦楽四重奏曲第4番 作品37「第2楽章」
  3. シェーンベルク:弦楽四重奏曲第4番 作品37「第3楽章」
  4. シェーンベルク:弦楽四重奏曲第4番 作品37「第4楽章」

アメリカ亡命時代の作品



思うに、シェーンベルクの偉かったのは、あんな訳の分からない無調の音楽を書きながらも、その気になればマーラーでさえも裸足で逃げていきそうなほどに精緻で巨大な後期ロマン派風の音楽も書けたことです。
それは、どこかピカソに似ています。

ピカソもまた、その気になれば、しっかりとしたデッサンと美しい色調で、誰もが惚れ惚れと見とれるような絵を描くことが出来ました。
そして、この二人は、既存の価値観に安住していれば、誰からも認められる「大家」になれたであろうに、それを投げ捨てて新しい道へと分け入ったところに共通点を感じます。

ただ、正直に言って、その新しい道が成功したのかどうかは分かりません。

ピカソに関しては、彼の名を冠した美術館で彼の代表作をまとめて見たときに、何故に彼がこのような道に進まざるを得なかったのが直感的に理解できました。そこにあったのは、途方もないエネルギーの放出でした。
そして、この怪物のようなエネルギーを放出する男にとって、既存の絵画のスタイルは狭すぎることは私のような愚であっても容易に理解できました。

しかし、それに追随した凡百の絵描きの作品をポンピドー美術館で見たときには、頭が痛くなりました。そこにあったのは、ピカソの巨大なエネルギーの放出とは正反対の、いじましいまでの小賢しい小細工でした。
偏見かもしれませんが、あのピカソの獰猛さに対抗できているのは唯一マチスだけでした。
そして、ルオーやシャガールは全く違った道で、己のアイデンティティを確保していました。

シェーンベルクもまた巨大なエネルギーを持った音楽家だったと思うのですが、音楽自体がすでに極限までに巨大化しているという事情が絵画とは異なっていたのでしょうか。彼は、巨大化の果てに収まりきらないエネルギーを、今度は凝縮させることで結実化させようとしたように見えます。もちろん、私は音楽の専門家ではありませんから、それは全くの個人的な感想の域を出ません。
しかし、シェーンベルクの無調の音楽は、決して無機的でもなければ非人間的でもなく、どこか人の心に届く響きを持っています。そして、その響きの中には、マーラーのシンフォニーをも凌駕するような巨大なものが極限にまで凝縮されて詰め込まれているような凄みを感じてしまいます。
ただし、ピカソの後継者の大部分が小賢しい小細工の中で窒息していったように、シェーンベルクの後継たる無調の、または12音の音楽の大部分もまた凝縮させるべき巨大なエネルギーを持たなかったが故に、結果として訳の分からない、ただの無機的で非人間的なノイズへと堕していきました。

しかし、そんな先の話はひとまず脇においておきましょう。ここで聞くべきはシェーンベルクの音楽です。
世間言われるほどに、彼の無調の音楽は訳の分からない音楽ではありません。少なくとも、彼の音楽は人の心の奥に届く「何か」を持っていることは間違いありません。
そして、とりわけこの弦楽四重奏曲というジャンルは、彼の創作活動の全体を覆っていますので、わずか4曲でシェーンベルクとは何者であったのかを教えてくれます。

シェーンベルクかー!!(>□<〃)ギャ・・・という人も多いかとは思いますが、是非一度くらいは虚心坦懐に耳を傾けてください。

弦楽四重奏曲第4番 作品37

この作品はシェーンベルクがナチスを嫌ってアメリカの亡命してから書かれたものです。
同じ時期に書かれた主要な作品としてはヴァイオリン協奏曲があるのですが、どちらも彼が生み出した12音技法に則ってはいるのですが、明らかに都合が悪いとなれば遠慮なく逸脱しています。こういうシェーンベルクの振る舞いを見ていると、彼こそは12音技法の創始者なんだなと納得します。

どういう事かと言えば、創始者にとっての教典は独裁国家における法律のようなものだからです。

独裁国家における法律は独裁者が恣意的に定めて、国民はそれを厳格に守ることを強要されますが、独裁者がその法律に制限されることなく自由に振る舞うことが可能です。
同じように、シェーンベルクが定めたルールは彼の追随者にとっては絶対のルールであったのですが、シェーンベルクはそのル?ルに縛られることなく自由に振る舞うことが出来たのです。
そして、明らかに、その様に自由に振る舞ったときにこそシェーンベルクの音楽は光ります。

例えば、冒頭の音列には、どこか安定した調性のようなものが感じられます。かといって、その音楽はかつての調性音楽が持っていた湿度感からは解放されていて実に快適なドライ感に満ちています。しかし、その響きは無理をしなくても聞き手の心の中にスッと入ってくるつきあいの良さを失っていません。

思うに、この12音技法の信奉者というのは何で飯を食っているのかは謎ですが、基本的に聞き手のことを考えていないように見えます。そして、謎ではあるのですが、それで何とか飯を食っていけるなら己の信じる音楽に一生をかけるのもいいでしょう。
しかし、何かのきっかけで、聞き手を意識して音楽を書かなければ飯が食っていけなくなると、多少は宗旨替えも必要でしょう。

最近驚かされたのは、例のサムラゴウチのゴーストライター事件でしょう。
あんな訳の分からん前衛音楽を書いていたアラガキさんは、その気になればあんなにも精緻な後期ロマン派風の交響曲が簡単に書けたという事実には、正直言って驚かされました。しかしながら聞いてみると、「大学から得られる報酬は月に数万円程度」で「普段は町のピアノ教室やヴァイオリン教室の発表会の伴奏をしたり、レッスンの伴奏をしたりして糊口を凌いで」いたというのですから、ホントに才能の使い道をしらんのか!と思ってしまいました。

おそらく、シェーンベルクにとってもアメリカへの亡命で多少は聞き手を意識しなければいけなくなったのでしょう。
これと似たようなことがバルトークなんかにも言えます。
彼がアメリカ時代に書いた「管弦楽のための協奏曲」や「ピアノ協奏曲第3番」などはホントに素晴らし音楽です。

シェーンベルクもまた、彼が定めた12音技法からある程度は自由になって聞き手のことを(おそらくは)多少は気にしたであろう作品の方が音楽は光っていると思います。出来れば、もう少し気にしてくれていれば、バルトークに肩を並べるような音楽になっていたのに・・・などといえば、レベルの高い聞き手からお叱りを受けるかもしれませんね。(^_・;)あちゃー


作品の真価を伝えようとする熱さ


ジュリアード弦楽四重奏団はバルトークの弦楽四重奏曲の全曲録音を3回も行っています。それに対して、私が知る限りでは、シェーンベルクの弦楽四重奏曲はこの古いモノラル録音の一回だけです。

残された資料によると、彼らは1949年に最晩年のシェーンベルクをロサンジェルスに訪問して、弦楽四重奏曲の解釈について熱心と意見を交換したようです。さらに翌年にはシェーンベルクの前で実際に演奏を行って、作曲家自身の意見も聞いています。
その時の様子を、リーダーであったロバート・マンは「シェーンベルクの予想した以上に、私たちの解釈はワイルドでした。そして、私たちが彼のために最初のカルテットを演奏すると、彼はそれが自分の予想もしていなかった解釈であると明かしました。」と述べています。この作曲家の反応は彼らにとっては大きな戸惑いであったようですが、シェーンベルクは笑い出して「でも、そのように演奏してください、それでいいのです」と付け加えたようです。

シェーンベルクにしてみれば、多少は意に沿わない部分があったとしても、ここでだめ出しをして録音が世に出ないよりはましだと判断したのではないかと思います。ただし、世間ではこの出来事を持って彼らの演奏は作曲家のお墨付きを得た「スタンダード」の地位を確保したことになっているのですが、実際に聞いてみれば、それは少し違うような気がするのです。

私の駄耳がこの演奏を聴いて感じたのは、彼らの一番最初のバルトークを聞いたときとほぼ同じです。
世間では、この演奏はきわめて過激な演奏であり、その過激さ故にシェーンベルクは違和感を感じたと言うことになっているのですが、どう聞いてみても、精緻さよりは作品の真価を伝えようとする熱さと、その熱さに由来する人肌の温もりみたいなものを感じてしまいます。そして、その熱さが私には魅力的なのです。
楚々手、彼のモノラルによるバルトーク演奏を聴いたときに感じたことが、そのままそっくりあてはまります。

「確かに、作品のたたずまいからいって、もっとクールに、もっと精緻に演奏されてこそ作品はその魅力をよりいっそう輝やかせることは否定できません。しかし、あまりにもクールに、そして精緻に演奏しすぎると、ただでさえ聞く人を拒絶するような側面がある作品だけに、はじめてこの作品に接する人には厳しすぎる事も事実です。それに対して、ジュリアード弦楽四重奏団によるこの一番最初のモノラル録音は、それが持つ人肌の温もりの故に聞く人にとって「優しい演奏」と言えるかもしれません。」

ただし不思議なのは、これほど熱心にシェーンベルクの作品と向き合ったにもかかわらず、たった1回しか録音しなかった、それも古いモノラル時代の1回だけだったことです。
バルトークに関してはさらに演奏の精密度を上げた録音を60年代に行い、さらにはデジタル時代に入った80年代にももう1回録音していることを考えれば、「どうしてだろう?」とは考えてしまいます。

おそらくは、「売れない」という判断がレーベルの方ではたらいたのかもしれません。ただでさえ室内楽は売れませんから、グールドみたいに本人が演奏したいものならば何でも「O.K」とはいかなかったのでしょうか?