クラシック音楽へのおさそい〜Blue Sky Label〜

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シェーンベルク:弦楽四重奏曲第2番 嬰ヘ短調 作品10

ジュリアード弦楽四重奏団:(S)ウタ・グラーフ 1951年5月3日,8日 & 6月12日録音

  1. シェーンベルク:弦楽四重奏曲第2番 嬰ヘ短調 作品10「第1楽章」
  2. シェーンベルク:弦楽四重奏曲第2番 嬰ヘ短調 作品10「第2楽章」
  3. シェーンベルク:弦楽四重奏曲第2番 嬰ヘ短調 作品10「第3楽章」
  4. シェーンベルク:弦楽四重奏曲第2番 嬰ヘ短調 作品10「第4楽章」



無調時代への過渡期の作品

思うに、シェーンベルクの偉かったのは、あんな訳の分からない無調の音楽を書きながらも、その気になればマーラーでさえも裸足で逃げていきそうなほどに精緻で巨大な後期ロマン派風の音楽も書けたことです。
それは、どこかピカソに似ています。

ピカソもまた、その気になれば、しっかりとしたデッサンと美しい色調で、誰もが惚れ惚れと見とれるような絵を描くことが出来ました。
そして、この二人は、既存の価値観に安住していれば、誰からも認められる「大家」になれたであろうに、それを投げ捨てて新しい道へと分け入ったところに共通点を感じます。

ただ、正直に言って、その新しい道が成功したのかどうかは分かりません。

ピカソに関しては、彼の名を冠した美術館で彼の代表作をまとめて見たときに、何故に彼がこのような道に進まざるを得なかったのが直感的に理解できました。そこにあったのは、途方もないエネルギーの放出でした。
そして、この怪物のようなエネルギーを放出する男にとって、既存の絵画のスタイルは狭すぎることは私のような愚であっても容易に理解できました。

しかし、それに追随した凡百の絵描きの作品をポンピドー美術館で見たときには、頭が痛くなりました。そこにあったのは、ピカソの巨大なエネルギーの放出とは正反対の、いじましいまでの小賢しい小細工でした。
偏見かもしれませんが、あのピカソの獰猛さに対抗できているのは唯一マチスだけでした。
そして、ルオーやシャガールは全く違った道で、己のアイデンティティを確保していました。

シェーンベルクもまた巨大なエネルギーを持った音楽家だったと思うのですが、音楽自体がすでに極限までに巨大化しているという事情が絵画とは異なっていたのでしょうか。彼は、巨大化の果てに収まりきらないエネルギーを、今度は凝縮させることで結実化させようとしたように見えます。もちろん、私は音楽の専門家ではありませんから、それは全くの個人的な感想の域を出ません。
しかし、シェーンベルクの無調の音楽は、決して無機的でもなければ非人間的でもなく、どこか人の心に届く響きを持っています。そして、その響きの中には、マーラーのシンフォニーをも凌駕するような巨大なものが極限にまで凝縮されて詰め込まれているような凄みを感じてしまいます。
ただし、ピカソの後継者の大部分が小賢しい小細工の中で窒息していったように、シェーンベルクの後継たる無調の、または12音の音楽の大部分もまた凝縮させるべき巨大なエネルギーを持たなかったが故に、結果として訳の分からない、ただの無機的で非人間的なノイズへと堕していきました。

しかし、そんな先の話はひとまず脇においておきましょう。ここで聞くべきはシェーンベルクの音楽です。
世間言われるほどに、彼の無調の音楽は訳の分からない音楽ではありません。少なくとも、彼の音楽は人の心の奥に届く「何か」を持っていることは間違いありません。
そして、とりわけこの弦楽四重奏曲というジャンルは、彼の創作活動の全体を覆っていますので、わずか4曲でシェーンベルクとは何者であったのかを教えてくれます。

シェーンベルクかー!!(>□<〃)ギャ・・・という人も多いかとは思いますが、是非一度くらいは虚心坦懐に耳を傾けてください。

弦楽四重奏曲第2番 嬰ヘ短調 作品10

しっかりとした調性に基づいた第1番に続けて書かれたこの弦楽四重奏曲も、取りあえずは「嬰ヘ短調」という調性が与えられています。しかし、この作品の最終楽章では明らかに調性が放棄されています。
この背景には、よく知られた話ですが、妻の不倫があります。

シェーンベルクは師であったツェムリンスキーの妹だったマティルダを妻に娶ります。ところが、このマティルダがシェーンベルクの肖像画を描いた人物として有名な若手の画家リヒャルト・ゲルストルと駆け落ちをしてしまうのです。驚いたのはシェーンベルクだけでなく、ツェムリンスキーを中心とした音楽仲間達で、彼らは必死で真ティルダを説得して彼女をシェーンベルクの元に返します。そして、シェーンベルク自身も還ってきたマティルダを受け入れるのですが、今度はマティルダに去られた若い画家が自殺をしてしまいます。
端から見る限りはとんだメロドラマなのですが、この出来事はシェーンベルクやその周囲に深い衝撃を与えたようです。

そして、往々にして男に自我を目覚めさせるのは女の裏切りです。逆に言えば、女に裏切られてこそ、はじめて男は一人前の大人になります。
おそらく、この出来事で彼は後期ロマン派に別れを告げ、新しい道へと「行っちゃえ!」と腹が据わったのでしょう。私は、絶対にそうだと思います。だとすれば、20世紀の音楽に革命をもたらした原動力はマティルダの不倫だったのかもしれません。
実に持って、女性とは偉大なものです。

そして、彼はさらに余勢を駆って、弦楽四重奏曲と歌曲をであわせるというチャレンジも試みます。第3楽章の静かな響きの中にそっと入ってくる歌声はまさに後期ロマン派のものですが、無調の世界で鳴り響く弦楽四重奏とソプラノの歌声は、間違いなく新しい世界の到来を告げていたのです。その意味では、この作品は後期ロマン派から決別を告げる「決心」の音楽だったのかもしれません。

第3楽章「連檮」(詩:シュテファン・ゲオルゲ(詩:シュテファン・ゲオルゲ

深きはこの悲しみ、われを暗く包み
今ひとたびわれは歩み入る、主よ!御身の家の中へ

長きはこの旅路、手足は疲れ果てぬ
空虚なる寺院、満ちたるはただ苦しみのみ

渇きし舌は酒を求めて苦しみ
激しき戦いに、痺れしはわが腕

憩いを恵みたまえ よろめく足取りに
飢えたる口には御身のパンを砕き与えたまえ

弱りしはわが呼吸 夢を呼びつつ
空虚なるわが両手、焼け付くはわが口

御身の涼しさを貸し与えたまいて、この炎を消し
希望を消し去りて、光を送りたまえ

心の中の炎 なおも激しく燃え盛り
その底深くに目覚めしはひとつの叫び

憧れを殺し、この傷口を閉ざしたまえ
われよりこの愛を取り去り、われに御身の幸福を授けたまえ

第4楽章「忘我」(詩:シュテファン・ゲオルゲ)

私は感じる どこか他の惑星からの風を
暗闇を抜けて顔たちが蒼ざめてゆく
私のまわりを親しげにほんの今まで取り巻いていた顔たちが

そして私の愛していた木々や小道はかすんでゆき
私はそれらをもはやほとんど認識できなくなる そしてお前 明るい
愛する面影――私の苦悩を呼び覚ますもの――

それは今や完全に消え去った 深い灼熱の中へと
せめぎ合いの騒ぎのよろめきの後で
信心深いおののきと共に沈黙して

私は自分自身を溶け込ませる、回転の中へ、揺らぎの中、
理由のない感謝と名づけようのない賛美に
偉大なる呼吸に何も願うことなく自らをゆだねつつ

私の上を吹きすぎる 凶暴な嵐が
壮麗さの轟音の中 そこには熱を帯びた叫び
嘆願者たちが投げつけられた塵の中で

そして私は見るのだ どれほど香り高く霧が立ち上るのかを
太陽の光あふれた清明さの中に
それは遠くの山の斜面に囲まれている

大地は白く揺らぐ 乳清のようにやわらかく
私は巨大な峡谷を乗り越えた
私は感じる 最後の雲の上にいるように

水晶がきらめく海の中を泳いでいるかのように
私はただの火花なのだ 聖なる炎から出でる
私はただの叫びなのだ 聖なる声の

作品の真価を伝えようとする熱さ


ジュリアード弦楽四重奏団はバルトークの弦楽四重奏曲の全曲録音を3回も行っています。それに対して、私が知る限りでは、シェーンベルクの弦楽四重奏曲はこの古いモノラル録音の一回だけです。

残された資料によると、彼らは1949年に最晩年のシェーンベルクをロサンジェルスに訪問して、弦楽四重奏曲の解釈について熱心と意見を交換したようです。さらに翌年にはシェーンベルクの前で実際に演奏を行って、作曲家自身の意見も聞いています。
その時の様子を、リーダーであったロバート・マンは「シェーンベルクの予想した以上に、私たちの解釈はワイルドでした。そして、私たちが彼のために最初のカルテットを演奏すると、彼はそれが自分の予想もしていなかった解釈であると明かしました。」と述べています。この作曲家の反応は彼らにとっては大きな戸惑いであったようですが、シェーンベルクは笑い出して「でも、そのように演奏してください、それでいいのです」と付け加えたようです。

シェーンベルクにしてみれば、多少は意に沿わない部分があったとしても、ここでだめ出しをして録音が世に出ないよりはましだと判断したのではないかと思います。ただし、世間ではこの出来事を持って彼らの演奏は作曲家のお墨付きを得た「スタンダード」の地位を確保したことになっているのですが、実際に聞いてみれば、それは少し違うような気がするのです。

私の駄耳がこの演奏を聴いて感じたのは、彼らの一番最初のバルトークを聞いたときとほぼ同じです。
世間では、この演奏はきわめて過激な演奏であり、その過激さ故にシェーンベルクは違和感を感じたと言うことになっているのですが、どう聞いてみても、精緻さよりは作品の真価を伝えようとする熱さと、その熱さに由来する人肌の温もりみたいなものを感じてしまいます。そして、その熱さが私には魅力的なのです。
楚々手、彼のモノラルによるバルトーク演奏を聴いたときに感じたことが、そのままそっくりあてはまります。

「確かに、作品のたたずまいからいって、もっとクールに、もっと精緻に演奏されてこそ作品はその魅力をよりいっそう輝やかせることは否定できません。しかし、あまりにもクールに、そして精緻に演奏しすぎると、ただでさえ聞く人を拒絶するような側面がある作品だけに、はじめてこの作品に接する人には厳しすぎる事も事実です。それに対して、ジュリアード弦楽四重奏団によるこの一番最初のモノラル録音は、それが持つ人肌の温もりの故に聞く人にとって「優しい演奏」と言えるかもしれません。」

ただし不思議なのは、これほど熱心にシェーンベルクの作品と向き合ったにもかかわらず、たった1回しか録音しなかった、それも古いモノラル時代の1回だけだったことです。
バルトークに関してはさらに演奏の精密度を上げた録音を60年代に行い、さらにはデジタル時代に入った80年代にももう1回録音していることを考えれば、「どうしてだろう?」とは考えてしまいます。

おそらくは、「売れない」という判断がレーベルの方ではたらいたのかもしれません。ただでさえ室内楽は売れませんから、グールドみたいに本人が演奏したいものならば何でも「O.K」とはいかなかったのでしょうか?