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ベートーベン:交響曲第6番 ヘ長調 作品68 「田園」


スタインバーグ指揮 ピッツバーグ交響楽団 1952年2月10日録音をダウンロード

  1. ベートーベン:交響曲第6番 ヘ長調 作品68 「田園」「第1楽章」
  2. ベートーベン:交響曲第6番 ヘ長調 作品68 「田園」「第2楽章」
  3. ベートーベン:交響曲第6番 ヘ長調 作品68 「田園」「第3楽章」
  4. ベートーベン:交響曲第6番 ヘ長調 作品68 「田園」「第4楽章」
  5. ベートーベン:交響曲第6番 ヘ長調 作品68 「田園」「第5楽章」

標題付きの交響曲



よく知られているように、この作品にはベートーベン自身による標題がつけられています。

第1楽章:「田園に到着したときの朗らかな感情の目覚め」
第2楽章:「小川のほとりの情景」
第3楽章:「農民の楽しい集い」
第4楽章:「雷雨、雨」
第5楽章:「牧人の歌、嵐のあとの喜ばしい感謝の感情」

また、第3楽章以降は切れ目なしに演奏されるのも今までない趣向です。
これらの特徴は、このあとのロマン派の時代に引き継がれ大きな影響を与えることになります。

しかし、世間にはベートーベンの音楽をこのような標題で理解するのが我慢できない人が多くて、「そのような標題にとらわれることなく純粋に絶対的な音楽として理解するべきだ!」と宣っています。
このような人は何の論証も抜きに標題音楽は絶対音楽に劣る存在と思っているらしくて、偉大にして神聖なるベートーベンの音楽がレベルの低い「標題音楽」として理解されることが我慢できないようです。ご苦労さんな事です。

しかし、そういう頭でっかちな聴き方をしない普通の聞き手なら、ベートーベンが与えた標題が音楽の雰囲気を実にうまく表現していることに気づくはずです。
前作の5番で人間の内面的世界の劇的な葛藤を描いたベートーベンは、自然という外的世界を描いても一流であったと言うことです。同時期に全く正反対と思えるような作品を創作したのがベートーベンの特長であることはよく知られていますが、ここでもその特徴が発揮されたと言うことでしょう。

またあまり知られていないことですが、残されたスケッチから最終楽章に合唱を導入しようとしたことが指摘されています。
もしそれが実現していたならば、第五の「運命」との対比はよりはっきりした物になったでしょうし、年末がくれば第九ばかり聞かされると言う「苦行(^^;」を味わうこともなかったでしょう。
ちょっと残念なことです。


明るくて健康的な音楽


スタインバーグと言えば協奏曲の伴奏をやっている地味な指揮者というイメージがあります。そのイメージの原因となったのがミルシテインとのコンビで録音した数多くのコンチェルトでしょう。

ミルシテインは今も20世紀を代表するヴァイオリニストとして認知されていますから、それらの録音の多くは今も現役盤です。つまりは半世紀以上の時間が経過してもそれらの録音は多くの人の目に触れる機会があり、その目にふれた録音のクレジットを眺めるといつもスタインバーグ指揮、ピッツバーグ交響楽団という記述があるというわけです。
そして、不幸なことに、現役盤を眺めまして見ても「スタインバーグ指揮 ピッツバーグ交響楽団」だけで録音された演奏がほとんど存在しないのです。
結果として、スタインバーグという指揮者に「地味な伴奏指揮者」というイメージができあがってしまったわけです。

しかし、「ああ、あのミルシテインの伴奏をいつもやっていた人ね」みたいな認識がある方がまだしもましで、「スタインバーグって誰?」という反応の方が一般的かもしれません。
もしかしたら、熱心にPCオーディオに取り組んできた人なら、「知っているよ!ASIO規格を作ったドイツの会社でしょう!!」なんて言われてしまうかもしれません。実際、Googleで「スタインバーグ」と検索すれば一番にヒットするのはそのスタインバーグ社の方です。

スタインバーグという指揮者は典型的な職人タイプの指揮者でした。
いますね、こういう人。
結構いい仕事をしてきたのに、そして、元気に活躍していたときはあちこちからたくさんのお仕事が殺到していたのに、何故か亡くなってしまうと一気に認知度が下がってしまうと言うタイプです。そして、その忘れ去られた録音を久しぶりに引っ張り出して聞き直してみると、これまた不思議なことにどれもこれも「いい仕事」をしているのです。
不思議と言えば不思議、理不尽と言えば理不尽なのですが、それが「芸の世界」というものなのでしょう。

スタインバーグの音楽は基本的にはトスカニーニのスタイルなのでしょうが、あの頑固親父みたいに屈折していないのが素敵でもあり、残念でもあるのです。もしも、彼がもっと屈折していれば、セルやライナーのようになっていたかもしれません。しかし、彼はああいう変人になるには人がよすぎたみたいです。
彼が1952年から1976年まで率いたピッツバーグ響のことを「二流オーケストラ」と書いている人がいますが、それはあまりにも聞く耳がなさすぎます。四半世紀にもわたってこの職人的オーケストラビルダーに率いられたオケが二流であるはずがありません。50年代のモノラル録音を聞いても楽器間のバランス感覚は抜群で、内部の見通しのよいすっきりとした音楽に仕上げる能力を有していたことは誰でもすぐに分かるはずです。

言うまでもないことですが、当時の録音技術では後から楽器間の音量バランスを調整するなどと言うことは不可能ですから、この見通しのよい響きが実際のコンサートホールで鳴り響いていたはずです。
確かに、90年代以降のハイテクオケと比べれば精緻さには欠けるかもしれませんが、この時代の水準を考えれば見事なものです。

ただし、スタインバーグは自らが鍛え上げたこのオケをさらに変質的なまでに締め上げて、「セル&クリーブランド響」や「ライナー&シカゴ響」のようにしようとは思わなかったようです。結果として、彼の音楽にはセルやライナーのような凄みはなかったかわりに、何とも言えない明るくて健康的な直線性を獲得しました。
言葉をかえればあまりにも「脳天気」だと批判することも可能なのでしょうが(たとえばブルックナー)、ある意味ではアメリカの「黄金の50年代」に最もふさわしい音楽になっています。そして、あまりにも屈折しすぎた今という時代にそのような音楽を聞くことは一つの「癒し」でもあります。

その意味では、ベートーベンやブラームスみたいな音楽よりはヘンデルの「水上の音楽」やラヴェルの「ボレロ」「ラ・ヴァルス」みたいな音楽の方が相性がいいように思います。また、ベートーベンならば「皇帝」、ブラームスならば「ピアノ協奏曲第1番」のような外連味あふれる作品の方が好ましく思えます。
ただし、誤解の起きないように言い添えておきますは、それは決して彼のベートーベンやブラームスの交響曲がつまらないと言っているわけではありません。それらもまた、屈託のないトスカニーニのように響きます。もしかしたら、音楽の形としてはシューリヒトに近いのかもしれませんが、スタインバーグの音楽はあれほど淡彩ではありません。その意味では、トスカニーニやシューリヒトの亜流ではない、スタインバーグならではの音楽になっています。

それから、もう一つ加えておくと、ブルックナーのロマンティックやチャイコフスキーのイタリア奇想曲みたいに、「なんだこりゃ??」みたいな演奏もあります。そう言うのを聞くと、面白いと言えば面白い、なかなかに一筋縄ではいかない指揮者だったんだなとニヤリとさせられます。もちろん、そう言うのは許せない!と言う人もいるでしょうが、私は決して嫌いではありません。

なお、聞くところによるとこのコンビによる録音はテープ録音が一般的でなかった時代に「35mmマグネチックフィルム」なるものを使って録音されたこともあるそうです。映画用に作られたテープですからコスト的には10倍以上かかったそうですが、録音できる「情報量」が圧倒的に多かったために音質的なメリットは大きかったようです。
デジタルマスタリングされた状態で聞いても、50年代の初期のモノラル録音としては極上といえる音質です。

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