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モーツァルト:ヴァイオリンソナタ第25番 ト長調 K.301

(Vn)シュナイダーハン (P)ゼーマン 1955年10月録音

  1. モーツァルト:ヴァイオリンソナタ第25番 ト長調 K.301 「第1楽章」
  2. モーツァルト:ヴァイオリンソナタ第25番 ト長調 K.301 「第2楽章」


モーツァルトのヴァイオリンソナタの概要

<子ども時代の作品:K6・7、K8・K9、K10~K15、K26~K31>
作曲年代からも明らかなように、K6?K31の16の作品がこのグループに入ります。神童モーツァルトがレオポルドに連れられてヨーロッパ各地を演奏旅行した中で作曲された作品であり、さらに作曲された場所や年代から、K6・7、K8・K9、K10~K15、K26~K31の4グループに分かれることは明らかです。
この時代のモーツァルトは演奏会においてその才能のきらめきを数々の即興演奏という形で披露しました。しかし、ピアノソナタの項でも述べたことですが、それらは、書き記されなければその場限りのものとして消え去ってしまいました。
子ども時代のモーツァルトの作品が後世に残ったのは、何らかの形で「書き残す」必要があったときか、もしくは父レオポルドが何らかの理由でその演奏を書き残したときに限られます。そして、この子ども時代のヴァイオリンソナタが後世に残ったのは、これらの作品群が「神童モーツァルト」の作品番号1として出版されたからです。

アインシュタインはこれらの作品群のことを「少年の音楽的発展を見るにはこのうえもなく興味をひくものである」といいながらも「伴奏ヴァイオリンを伴うピアノ用の練習ソナタ」にしかすぎないと断言しています。

<マンハイム・ソナタ:作品番号1のK301~K306と愛らしいピエロンに捧げられたK296>
モーツァルトが本当の意味でヴァイオリンソナタの作曲に着手するのは就職先を求めて母と一緒にマンハイムからパリへと旅行したときです。このとき、モーツァルトはマンハイムにおいてシュスターという人物が作曲した6曲のヴァイオリンソナタに出会います。モーツァルトはこのときの感想を姉のナンネルに書き送ってます。
「・・・わたしはこれらを、この地ですでに何度も弾きました。悪くありません。・・・」
「悪くありません。」・・・この一言がモーツァルトから発せられるとは何という賛辞!!

残念なことに、モーツァルトを感心させたシュスターの作品がどのようなものかは現在に伝わっていません。しかし、それらの作品が、従来のピアノが「主」でヴァイオリンが「従」であるという慣例を打ち破り、その両者が「主従」の関係を交替しながら音楽を作り上げていくという「交替の原理」にもとづくものであったことは間違いありません。
モーツァルトは旅費を工面するために引き受けたド・ジャンからのフルート作品の作曲にうんざりしながら、その合間を縫ってヴァイオリンソナタを作曲します。このうちの5曲(K301・K302・K303・K305・K296)はマンハイムで完成し、残りの2曲(K304、K306)はパリへ移動してから完成されたと言われています。そして、K301?K306の6曲はプファルツの選帝候妃に作品番号1として、そしてK296はマンハイムで世話になった宿の主人の愛らしい娘、テレーゼ・ピエロンに捧げられています。
私たちが、モーツァルトのヴァイオリンソナタとしてよく耳にするのはこれ以降の作品です。

モーツァルトは選帝候妃に捧げた作品番号1の6曲について、明確に「ピアノとヴァイオリンのための二重奏曲」と述べています。そして、あまりにも有名なホ短調ソナタを聴くときに、何かをきっかけとして一気に飛躍していくモーツァルトの姿を見いだすのです。
そこでは、ピアノとヴァイオリンはただ単に交替するだけでなく、この二つの楽器が密接に絡み合いながら人間の奥底に眠る深い感情を語り始めるのです。アインシュタインが指摘しているように、「やがてベートーベンが開くにいたる、あの不気味な戸口をたたいている」のです。
さらに、作品番号1の最後を飾るK306と愛らしいピエロンのためのK296は、当時のヴァイオリンソナタの通例を破って3楽章構成になっています。このK296は第2楽章がクリスティアン・バッハのアリア「甘いそよ風」による変奏曲になっていて、実に親しみやすい作品です。また、K306の方は、K304のホ短調ソナタとは打って変わって、華やかな演奏効果にあふれたコンチェルト・ソナタに仕上がっています。

<ザルツブルグからウィーンへ:K376~K380>
モーツァルトはこの5曲と、マンハイムの美しい少女のために捧げたK296をセットにして作品番号2として出版しています。しかし、成立事情は微妙に異なります。
まず、K296に関してはすでに述べたように、マンハイムで作曲されたものです。
次に、K376~K380の中で、K378だけはザルツブルグで作曲されたと思われます。この作品は、就職活動も実らず、さらにパリで母も失うという傷心の中で帰郷したあとに作曲されました。しかし、この作品にその様な傷心の影はみじんもありません。それよりも、青年モーツァルトの伸びやかな心がそのまま音楽になったような雰囲気が作品全体をおおっています。
そして、残りの4曲が、ザルツブルグと訣別し、ウィーンで独立した音楽家としてやっていこうと決意したモーツァルトが、作品の出版で一儲けをねらって作曲されたものです。
ただし、ここで注意が必要なのは、モーツァルトという人はそれ以後の「芸術的音楽家」とは違って、生活のために音楽を書いていたと言うことです。彼は、「永遠」のためにではなく「生活」のために音楽を書いたのです。「生活」のために音楽を書くのは卑しく、「永遠」のために音楽を書くことこそが「芸術家」に求められるようになるのはロマン派以降でしょう。ですから、一儲けのために作品を書くというのは、決して卑しいことでもなければ、ましてやそれによって作り出される作品の「価値」とは何の関係もないことなのです。

実際、ウィーンにおいて一儲けをねらって作曲されたこの4曲のヴァイオリンソナタは、モーツァルトのこのジャンルの作品の中では重要な位置を占めています。特に、K379のト長調ソナタの冒頭のアダージョや第2楽章の変奏曲(アインシュタインは「やや市民的で気楽すぎる変奏曲」と言っていますが・・・^^;)は一度聴いたら絶対に忘れられない魅力にあふれています。また、K377の第2楽章の変奏曲も深い感情に彩られて忘れられません。
ここでは、ヴィオリンとピアノは主従を入れ替えて交替で楽想を分担するだけでなく、二つの楽器はより親密に対話をかわすようになってます。これら4曲は、マンハイムのソナタよりは一歩先へと前進していることは明らかです。

<後期の三大ソナタ:K454、K481、K526>
「三大ソナタ」という呼び方は一般的ではありあせんが、モーツァルトのこのジャンルにおける最後の貢献としてこの3作品を指摘することができますから、あえてこのようなネーミングをしてみました。
この3作品は、K376?K380のように、何らかの目的を持ってまとめて作曲されたわけではありません。

K454については、モーツァルトは父親に宛てた手紙でふれていますからその成立状況はよく分かっています。そして、それはモーツァルトの「天才伝説」を彩るエピソードの一つでもあります。
この作品は、当時ウィーンを訪れていたストリナサッキというヴァイオリニストのために作曲されたもので、それをモーツァルトとの競演で演奏しました。しかし、演奏会当日までにはヴァイオリンのパートしか楽譜が完成しなかったために、モーツァルトは白紙の楽譜を前にピアノを演奏したというのです。・・・恐るべし、モーツァルト!!

次のK481については成立事情に関しては何も分かっていません。おそらくは出版目的の小銭稼ぎだったと思われますが、これもまた作品の「価値」とは間の関係もない話です。
この作品の第1楽章には「ジュピター」のモチーフ「ドレファミ」が出てきます。モーツァルトはこのモチーフがよほど気に入っていたようで、彼の作品には何回も顔を出します。

そして、最後のK526は、おそらく「ドン・ジョヴァンニ」の作曲中に書かれたものと思われます。クロイツェル・ソナタの先駆けとも呼ばれるこの作品については、アインシュタインによる次の賛辞ほど相応しいものはありません。
「この曲においてモーツァルトはヴァイオリンソナタの分野でも完璧な《諸様式の調和》に到達し得ている。」「緩徐楽章では、あたかもすべての善人に生存の苦い甘みを味わわせようと、父なる神が世界の一瞬だけいっさいの運動を停止させたかのような、魂と芸術との均衡が達成されている。」

<その他:K359、K360、K547>
これらの作品は、おそらくは彼のピアノの弟子のために書かれたものだと思われます。K547はソナチネと題されているように初心者用の練習ソナタであり、アインシュタインも「まるで、パリかロンドンの時代の、彼の最初のヴァイオリンソナタに帰っているように見える」と述べています。

この時代のスタンダードとも言うべき規範となるような演奏


モリーニのヴァイオリンをまとめて聞いてみて、改めて私の前に浮上したのがシュナイダーハンでした。
まあ、ネームバリューという点では普通はこの逆で、シュナイダーハンのつながりで同じ「ウィーン育ちのヴァイオリニスト」としてモリーニの名前に気づくものです。当然のことながら、既にシュナイダーハンの録音は多数取り上げていますので、知らなかったわけではありません。
しかし、今回モリーニの演奏を聴いてみて、改めて同じ時代のウィーンでヴァイオリニストとしての教育を受けキャリアを積み上げたということで、また異なった側面から興味を引いたというわけです。

シュナイダーハンといえば、根っからのウィーン子ということになります。ウィーンで生まれ、ウィーンで育ち、そしてウィーンフィルのコンサートマスターを勤めあげたあとはウィーンを根拠地としてソリストとしてのキャリアを積みげたのですから、まさに「根っからのウィーン子」です。
モリーニもまた同じようにウィーンで生まれ、ウィーンで育ち、そしてウィーンで活躍したヴァイオリニストですから根は全く同じです。ただ、ナチスの台頭という時代状況の中で、片方はウィーンフィルのコンサートマスターとして戦争をやり過ごし、他方は迫害を恐れてアメリカに亡命せざるを得ませんでした。
ただ、面白いのは、アメリカに亡命せざるを得なかったモリーニの方がレパートリー的には頑固だったことです。それと比べると、ヨーロッパにとどまり続けたシュナイダーハンの方は「バッハからヘンツェ」までと言われるほど幅が広かったというのは面白い事実です。
私たちは、「ウィーン風」という言葉からなんとなく「古き良き」という言葉を連想してしまうのですが、そんな連想がいかにいい加減なものかを思い知らされます。「ウィーン」というところは頑ななまでにに保守的であると同時に、驚く程に前衛的でもあるのです。もしかしたら、モリーニはアメリカに亡命してもレパートリー的に頑固だったのではなくて、ウィーンという土地を離れてアメリカに亡命したからこそ頑固でありえたのかもしれないのです。
こういうのを「辺境残存法則」というらしくて、周辺にいけばいくほど中心の本質がいよいよ濃厚に頑強に保持されるという原則があるらしいのです。そう思えば、頑なまでにレパートリーの幅を狭めていったモリーニの姿には何とも言えない「哀しみ」が伝わってくるような気がします。

また、私たちが「ウィーン風」という言葉から漠然と感じるイメージと、このふたりの演奏スタイルはかなり隔たっているという事実もけっこう興味深いです。
モリーニに関しては、「清冽」という言葉を使いました。
シュナイダーハンは「清冽」ではないでしょうが、それでもキリッと引き締まった美音が持ち味です。左手がぐいっと引き締まっている感じで、それは「ウィーン風」という言葉から連想させれる「大トロ」な雰囲気とは真逆です。
そう思えば、年末年始になると毎年出没する「ウィーン○○」と名のついたオケによるウィンナーワルがツメインのコンサートほど怪しげなものはありません。あの下手くそで緩い演奏を「ウィーン風」だと勘違いさせるという点では、時には「犯罪的」ですらあります。

モリーニのあの清冽なまでに禁欲的な演奏からは、彼女の中のウィーンを必死で守ろうとする哀しみが感じられます。
それに対してシュナイダーハンの演奏は、戦時下のウィーンをしたたかに生き抜いたウィーン子の「小狡さ」を感じる場面はあっても、モリーニのような哀しみは伝わってきません。まあ、「小狡さ」はさすがに言いすぎかもしれませんが、それでも哀切に響くところは泣かせ、有名な旋律はそれなりに歌わせ、小気味よく進むところは切れ味よく表現するソツのなさを聞いていると、思わずそんな言葉が浮かんできてしまいます。

そして、最後に彼は本当にモーツァルトのこれらの作品を愛していたんだろうかという疑問にいきあたってしまいます。
罰当たりなことを言えば、これほどの演奏を聴かせてもらってなんの不満もないはずなのに、どこかで「何かが足りない」と文句をっている自分を否定しきれないのです。その足りない何かを「愛」だと言われれば、やはり文句は言われるでしょう。
しかし、モリーニとシュナイダーハンを聴き比べてみて、モリーニにあってシュナイダーハンにはない「何」かがあるような気はします。

まあ、戯言と聞き流してください。
録音はモノラルですが極上の部類に属します。
演奏に関してもこの時代のスタンダードとも言うべき規範となるような演奏です。私のようなおかしな聴き方をしなければ、なんの不満も感じない演奏だとは思います。