クラシック音楽へのおさそい〜Blue Sky Label〜

FLAC モノラルファイルデータベース>>>Top

モーツァルト:13管楽器によるセレナーデ「グラン・パルティータ」

レーマン指揮 ベルリンフィルのメンバー 1956年3月7?9日録音

  1. Mozart:セレナード 第10番 変ロ長調「グランパルティータ」「第1楽章(ラルゴ - モルト・アレグロ)」
  2. Mozart:セレナード 第10番 変ロ長調「グランパルティータ」「第2楽章(メヌエット)」
  3. Mozart:セレナード 第10番 変ロ長調「グランパルティータ」「第3楽章(アダージョ)」
  4. Mozart:セレナード 第10番 変ロ長調「グランパルティータ」「第4楽章(メヌエット アレグレット)」
  5. Mozart:セレナード 第10番 変ロ長調「グランパルティータ」「第5楽章(ロマンツェ アダージョ)」
  6. Mozart:セレナード 第10番 変ロ長調「グランパルティータ」「第6楽章(主題と変奏 アンダンテ)」
  7. Mozart:セレナード 第10番 変ロ長調「グランパルティータ」「第7楽章(フィナーレ モルト・アレグロ)」



交錯する響き

管楽器のためのディヴェルティメントというジャンルは基本的に野外でのBGMとして使われていた音楽です。言葉をかえれば「庭園音楽」です。それは松明で照らされた夏の夜の音楽です。
ところが、モーツァルトという人はその様な実用音楽のジャンルにおいても、とびきり素晴らしい作品を残してくれました。

それがK361・K375、そしてK388の三曲です。
ここで紹介しているのは、この一連の3曲の中では一番最初の作品になるK361の「13管楽器のためのセレナーデ」、通称「グラン・パルティータ」と呼ばれる作品です。

この作品は、ますます険悪になるザルツブルグでの状況から抜け出そうともがいている時期に作曲されたもので、ミュンヘンで書き始められてウィーンで完成しています。この作品も注文を受けて作曲された形跡がありません。おそらくは、ザルツブルグに代わる雇い主を求めてのプレゼンテーションのような意味を持った作品作りだったと思われます。

そう言う意気込みのためか、未だかつて私たちが耳にしたことがないような多彩な響きを楽しむことができます。そして、それ以後も、これを上回るだけの響きの楽しみを私たちは持つことができていません。
難しいことは考えずに、次から次へと交錯していく響きの多様さに身をゆだねるのが一番賢い聴き方ではないでしょうか。

音楽とは不思議なものだ


指揮者はフリッツ・レーマン、演奏しているのはベルリンフィルのメンバーたちです。
レーマンは、この56年にバッハのマタイ受難曲を演奏しているときに死去しましたから、これはまさに亡くなる直前の録音と言うことになります。

こんな事を書くと、己の演奏技術を高めるために日々研鑽に努めている多くの演奏家の方々には怒られること必定なのですが、どうも年をとってくると「上手すぎる演奏」にはうんざりしてきます。いや、いきなり「うんざり」などという言葉を使うと、私の思いが正確に伝わらないかもしれません。

例えば、朝早く起きてBS3チャンネルをつけると「クラシック倶楽部」なる番組をやっています。「国内外の一流演奏家のリサイタルを、豊富なラインナップでお送りします。」というのが番組のコンセプトなのですから、どれを聞いてもクラシック音楽界の「今」がよく分かります。
さすがにどの演奏を聞いてもみんな上手いもので、一分の隙もありません。しかし、そう言う演奏を聴いているうちにそれはまるで何か絵葉書のような「美しい景色」を眺めているような心持ちになってきます。そう言えば、男も年をとると、どんなに美しい女性を見てもそれは景色のようにしか見えなくなるという話を聞いたことがあります。まあ、私はそこまで「枯れて」はいないと思うのですが、それでも、もしかしたらそれと同じような心持ちでしか音楽が聞こえていないのかもしれません。
そして、これがとても大切なことなのですが、景色というものはどれほど美しいものであっても、5分も眺め続ければいい加減あきてきます。それを20分も30分も見ることを強いられれば誰だって「うんざり」するでしょう。
最初に「上手すぎる演奏」にはうんざりすると書いたのは、正確に表現すれば、このような文脈において「うんざり」させられるのです。

それと比べると、このレーマンとベルリンフィルのメンバーによるモーツァルトには、絵葉書のような一分の隙もない美しさはありません。随分あちこちに綻びはありますし、何よりもそこに描かれている風景は随分と猥雑な夏の夜の情景です。
レーマンの指揮はおそらくは随分とファジーなものだったでしょうし、何よりもベルリンフィルのメンバーは、疑いもなく、ドイツの田舎オケのオッさんの雰囲気があふれています。
ところが、不思議なことに、こういう演奏は、不思議なほどに聴いていて飽きがこないのです。流れている音楽も、モーツァルトと言ったって、基本的には野外での宴会でのBGMにしかすぎません。それでも、聞いていて本当に楽しくて、心がのんびりとほぐされていきます。

ホントに、日々研鑽に励まれている演奏家の方々には申し訳ないのですが、気楽な立場にある聞き手としては、「音楽とは不思議なものだ」としか言いようがありません。