クラシック音楽へのおさそい〜Blue Sky Label〜


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フランク:交響的変奏曲


(P)ギーゼキング カラヤン指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1951年6月録音をダウンロード


職人作曲家の腕の冴え



フランクという人は若い頃は熱心にピアノ曲を作曲していたのですが、その後、この分野への興味を失ったのか、ぱったりと創作の筆が止まります。そんなフランクが再びピアノの世界に戻ってくるのは最晩年に達してからです。
フランクという人は、その晩年において、まさにねらいすましたように各ジャンルにおいて1曲ずつ「これぞ!」というような作品を生み出します。この「交響的変奏曲」も、ピアノ協奏曲とは銘打っていませんが、まさに協奏曲のジャンルに送り込んだ「ねらいすました作品」の一つだと言えます。

まずは威圧的なオケの響きで音楽が開始されますが、それに続いてピアノが優しく主題を奏します。これが第1の主題であり、やがてそれに続いて別の主題がピアノで奏されます。そして最後に、弦楽器群が三番目の主題を提示します。
こうして、3つの主題を提示しておいて、あとの部分でこれら3つの主題が様々に変奏されていきます。
ですから、単一の主題が最初に提示されて、それが様々に変奏されていくというオーソドックスな形ではなくて、最初に提示された3つの主題が様々に絡み合いながら変奏されていくという、かなり高度で複雑な形態を取っています。

ウィキペディアによると、以下のように変奏されていくそうです。

第1変奏
主題Aの前半が低音弦に現れ、ピアノは主題Bで応答する。主題A前半が管弦楽に広がると、ピアノは主題A後半、主題Cの順で展開を続ける。
第2変奏
主題Cがピアノと弦楽器、木管楽器により展開される。続いてヴィオラ、チェロが主題Cを奏で、これにピアノが装飾的に絡む。次第に盛り上がり、管弦楽が主題A、続いて主題Cを奏し、ピアノは三連音符で応答、クライマックスを築く。
第3変奏
ピアノが分散和音を奏でる中、チェロにより主題C、続いて主題Aがゆっくりと歌われる。最後はピアノのトリルに導かれて、ホルンと木管楽器が次の変奏のリズムを準備する。
第4変奏
主題Aを元にした軽妙な変奏。
第5変奏
ピアノに陽気な新しい主題Dが現れる。主題Cが示された後、ピアノが伴奏を伴わず独奏を繰り広げる。管弦楽が主題A、Cの順に奏し、ピアノと掛け合いを演じた後、力強く終了する。

パッと聞いただけでは、あまり面白くもおかしくもない作品なのですが、上記のような仕組みが分かってくると、職人作曲家ともいうべきフランクの凄さみたいなものが少しは感じ取れるのではないかと思います。


ある種の「崖っぷち感」みたいなものが聞き取れる演奏


録音の世界では52年からテープによる録音が主流になるので音質は飛躍的に向上します。
このカラヤンとギーゼキングの演奏は51年に録音されていますから、その意味では音質的にはかなり微妙です。しかし、実際に聞いてみるとそれほどクオリティは低くないように思えます。
それよりは、50年代の初めにこのような「現代的な感覚」でベートーベンやモーツァルトが演奏がされていたことを知ってもらう事には価値があるだろうと思います。

ギーゼキングと言えば、このあとに素晴らしいモーツァルトのピアノソナタ全集を完成させます。その全集の方は既に紹介済みなのですが、即物主義によるモーツァルト演奏のスタンダードとして長く評価されてきた録音です。
その事もあって、ギーゼキングと言えば即物主義の代表のように思われているのですが、若い頃の演奏を聴くとかなりの爆演型でした。例えば、メンゲルベルグを相手にしたラフマニノフのコンチェルトなどは、それはそれは凄まじいものでした。そう言う演奏を聞くと、若い頃のギーゼキングは晩年のギーゼキングとはまるで別人のようです。
そうなると、その変化がいつ頃起こったのかという疑問がおこるのですが、このカラヤンとの録音を聞く限りは、明らかにストイックなまでに即物的な態度で貫かれていることは容易に聞き取ることができます。カラヤンの方もまた、「ドイツの小トスカニーニ(彼はこういう言われ方は好まなかったようですが)」と言われた頃ですから、両者のベクトルはピッタリ一致して、今聞いても「古さ」というようなものは微塵も感じないような演奏に仕上がっています。

調べてみると、この両者は51年から53年にかけて、これ以外にもモーツァルトやシューマン、グリーグなどのコンチェルトを集中的に録音しています。そして、その録音のどれを聞いても、貫かれている感覚はこの上もなく現代的です。いや、もしかしたら、ここまで己の「我」を抑えて、ひたすら作品のあるがままの姿を描き出そうという「誠実」さに貫かれた演奏は、今という時代にあっては次第に聞くことが難しくなっているかもしれません。
そして、若い頃のカラヤンのこういう「誠実」な演奏スタイルを聞かされると、年を取っていろいろな知恵が身につくことが、果たして「進歩」なのかどうか?・・・等という皮肉な思いが脳裏をかすめたりします。

それにしても、50年代の初めという、未だに大戦の記憶が生々しい時代に、この両者がタッグを組んでコンチェルトを集中的に録音した事はかなり興味深い事実です。
カラヤンがナチスの党員であったことは周知の事実です。ギーゼキングもまた党員ではなかったようですが、熱心なナチス信奉者であったことはよく知られています。もしかしたら、カラヤンがビジネスのために割り切ってナチス党員になったことと比べると、ギーゼキングの方が心情的にははるかに「親ナチ」だったかもしれません。
ですから、戦後になると、お互いに「ナチス疑惑」が「晴れる」までは演奏が禁止されますし、演奏禁止が解除されても、「親ナチ」の彼らとは協演を拒否する演奏家も少なくなかったようです。有名どころではルービンシュタインやホロヴィッツなどがあげられるでしょう。ルービンシュタインについて言えば、あの温厚そうな外見とは裏腹に、ドイツでの演奏を死ぬまで拒否し続けた人でした。そう言う周囲の状況を考えると、お互いに納得のいくパートナーとなると選択肢は極めて限られていたことは容易に想像がつきます。そして、そう言う二人にとって、もう一度演奏家としてのキャリアを再構築していくためには「実績」を積み重ねるしかなかったはずです。もちろん、ルービンシュタインのように生涯許してくれない大物もいるでしょうが、「素晴らしい演奏」という実績を積み上げていけば、やがては道は切り開かれるものです。
そう言う意味では、この二人による一連の録音には、他の時代には聞けないような「凄味」みたいなものも感じ取れるような気もします。まあ、ここまで言ってしまうと「深読み」がすぎるかもしれませんが、評価の定まった大家による余裕あふれる演奏では絶対表現できない、ある種の「崖っぷち感」みたいなものが聞き取れるような気がします。

このコンビによる録音

モーツァルト:ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 k.488(1951年録音)
モーツァルト:ピアノ協奏曲 第24番 ハ短調 k.491(1953年録音)
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第4番 ト長調 作品58(1951年録音)
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 作品73「皇帝」(1951年録音)
シューマン:ピアノ協奏曲 イ短調 作品54(1953年録音)
グリーグ:ピアノ協奏曲 イ短調 作品16(1951年録音)
フランク:交響的変奏曲 (1951年録音)