クラシック音楽へのおさそい〜Blue Sky Label〜


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モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番イ長調 K.488


P:クララ・ハスキル オトマール・ヌシオ指揮 スイス・イタリア放送管弦楽団 1953年6月25日録音をダウンロード

  1. Mozart:Piano Concerto No.23 in A major, K.488 [1.Allegro]
  2. Mozart:Piano Concerto No.23 in A major, K.488 [2.Adagio]
  3. Mozart:Piano Concerto No.23 in A major, K.488 [3.Allegro assai]

ヴェールをかぶった熱情



モーツァルトにとってイ長調は多彩の調性であり、教会の多彩なステンドグラスの透明さの調性である。(アルフレート・アインシュタイン)

モーツァルトは、k466(ニ短調:20番)、K467(ハ長調:21番)で、明らかに行き過ぎてしまいました。そのために自分への贔屓が去っていくのを感じたのか、それに続く二つのコンチェルトはある意味での先祖帰りの雰囲気を持っています。
構造が簡単で主題も明確、そしてオケとピアノの関係も常識的です。
事実、この作品で、幾ばくかはウィーンの聴衆の支持を回復することができたようです。

しかし、一度遠い世界へとさまよい出てしまったモーツァルトが、聴衆の意を迎え入れるためだけに昔の姿に舞い戻るとは考えられません。そう、両端楽章に挟まれた中間のアンダンテ楽章は紛れもなく遠い世界へさまよい出たモーツァルトの姿が刻印されています。
それは深い嘆きと絶望の音楽です。
ただし、そのようなくらい熱情はヴェールが被されることによって、その本質はいくらかはカモフラージュされています。このカモフラージュによってモーツァルトはかろうじてウィーンの聴衆の支持をつなぎ止めたわけです。
遠い世界へさまよい出ようとするモーツァルトと、ウィーンの聴衆の支持を引き止めようとするモーツァルト。この二つのモーツァルトの微妙な綱引きの狭間で、奇跡的なバランスを保って成立したのがこの作品でした。しかし、そのような微妙なバランスをいつまでも保ち続けることができるはずがありません。
続くK491(ハ短調:24番)のコンチェルトでモーツァルトはそのくらい熱情を爆発させ、そしてウィーンの聴衆は彼のもとを去っていきます。


ソリストはつらい・・・ね・・・?


クララ・ハスキルの手になるモーツァルトのピアノ協奏曲をまとめて聴いてみました。ハスキルのモーツァルトと言えば今も評価が高く、一部では神格化されているような向きもありますが、逆にその反動で、あんな演奏のどこがいいのか全く分からないという率直な意見もネット上では散見されます。
正直言って、既に内田光子などに代表されるようなすぐれたモーツァルト演奏を既に持っている「現在」から見れば、いつまでもハスキルを天まで持ち上げるのはいかがと思います。
しかし、彼女が活躍した40年代から50年代というのは、モーツァルト言うのは決してクラシック音楽の「本流」ではなかったと言うことも見ておく必要があります。おそらく、モーツァルトがクラシック音楽史における欠くべからざる存在であることが広く一般に認知され始めたのは生誕200年を迎えた1956年を境にしてからです。もちろん、それ以前にもアインシュタインに代表されるようなすぐれた研究や、日本においては小林秀雄の慧眼などもあったのですが、一般的にはクラシック音楽と言えば三大B、とりわけベートーベンこそがその本流であったのです。
そう言う時代背景の中にハスキルのモーツァルト演奏を置いてみれば、一般的には可愛らしくて愛らしい作品としか思われていなかったモーツァルトのピアノ音楽の中に、かくも深い人間的な感情が潜んでいることを見抜いて、それをこの上もない洗練された上品さで表現しきったことには驚きを禁じ得ません。
歴史は決して「阿呆の画廊」ではないのですから、個々の演奏というものもそれぞれの歴史的背景にの中に置いてこそ正当に評価ができるのだと言えます。
疑いもなく、ハスキルの歴史的な演奏を越える多くのすぐれた録音を私たちは持っていますから、それらを無視していつまでもハスキルを持ち上げのは誤りでしょう。それと同じように、内田やピリスの録音と比較してハスキルななんて過去の遺物で聞く価値なしと切って捨てるのも同じ意味で誤りです。

はてさて、実はこんな事を書くためにハスキルの録音を聞き始めたのではなかった、前置きのつもりがとんだ無駄話になってしまいました。
今回、書きたかったのは「ソリスト」は大変、ということだったのです。
今回聞いたセットの中にモーツァルト最後のピアノ協奏曲であるK.595が2曲入っていたのです。

・フェレンツ・フリッチャイ指揮、バイエルン国立管弦楽団 1957年5月7日録音
・オットー・クレンペラー指揮、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団 1956年9月9日録音

驚いたのは、クレンペラーのぶっきらぼうなサポートの仕方と、それとは対照的とも言えるほどに丁寧で献身的にハスキルを支えるフリッチャイのサポートとの違いです。
クレンペラーと言えば、フォルム重視、厳格なリズムで格調の高い演奏を聴かせるというのが「売り」なのですが、かなり「困ったおじさん」だったと言うことでも有名な指揮者です。そして、ここでは、その「困った」部分が明らかに炸裂しています。
先ほどは「ぶっきらぼう」と表現したのですが、有り体に言えばきわめてぞんざいな演奏でオケの方も適当に鳴らしているだけで、機器用によってはセクハラ親父にいたぶられているような風情すらあります。
それと比べれば、フリッチャイのサポートは最初の一音からして全くの別物かと思えるほどの心のこもった暖かさに満ちています。
もちろん、こう書いたからといって、クレンペラーはフリッチャイに劣るつまらぬ指揮者だったと言っているわけではありません。明らかに、ここでのクレンペラーにはやる気が感じられません。
でも、ハスキルは頑張ってピアノを演奏しなければいけないのであって、このバックの中でも最善を尽くしている様子がよく分かります。

ソリストというのは、いつもいつも万全のサポートが得られるわけではありません。それでも、それを言い訳にすることはできず、その日のコンサートに足を運んでくれたお客さんとの関係で言えばまさに「一期一会」なのであって、どんな状況でもベストを尽くさないといけないのです。

たとえば、

・ピアノ協奏曲第23番K.488 オトマール・ヌシオ指揮、スイス・イタリア放送管弦楽団 1953年6月25日録音

と言う録音があります。
「スイス・イタリア放送管弦楽団」とは聞き慣れないオケですが、かつては本拠地の名を取って「ルガーノ・フィル」と呼ばれていました。シェルヘンと組んで、史上有名な爆裂型ベートーベン交響曲全集を録音したので有名なオケだと言えば思い当たる人もいるでしょう。
オトマール・ヌシオはこのオケを率いていた指揮者ですが、ハスキルという有名なソリストを招いて意欲に満ちているのが出だしの音からしてすぐに分かります。しかし、悲しいかな、その意欲はいつまでも続くことはなく、大事なところで響きが薄くなったり平板になったりして力不足を露呈しています。
それでも、ハスキルは頑張っています。
本当に「ソリスト」は大変です。

ハスキルとフリッチャイはどのような関係にあったのかは知りませんが、このフリッチャイという男は本当に誠実な指揮者です。


・ピアノ協奏曲第19番K.459 フェレンツ・フリッチャイ指揮 ケルン放送交響楽団 1952年5月30日録音
・ピアノ協奏曲第20番K.466 フェレンツ・フリッチャイ指揮 RIAS交響楽団 1954年1月10日録音

このどちらを聞いても、ハスキルへの尊敬と献身が感じられます。
たとえば、有名なニ短調のコンチェルトははっとするほどの暗めの表情で開始されます。しかし、その暗さが幻想的なまでにソッと入ってくるハスキルのピアノを引き立てているのがすぐに分かります。
こういう指揮者ばっかりだったらソリストも幸せなのでしょうが、世の中はそんなに甘くないと言うことです。

そして、最後に聞いたのはジェントルマンとして有名なシューリヒトと、職人クリュイタンスとのコンビです。

・ピアノ協奏曲第9番K.271 カール・シューリヒト指揮 シュトゥットガルト放送交響楽団 1952年5月23日録音
・ピアノ協奏曲第24番K.491 アンドレ・クリュイタンス指揮 フランス国立放送管弦楽団 1955年12月8日録音

どちらも、実に端正で折り目正しいサポートです。クリュイタンスは本番になると突然練習とは違うことをしたりする面もあるのですが、ここではきっちりとサポートしているのが分かります。

おそらく、ソリストというのは、コンサートの直前に会場に乗り込んで直接音を出してみないと、そのコンサートがどのようなものになるのかは分からないのでしょう。どんなに高名な指揮者であっても、偶々その時は調子が悪かったりやる気がなかったりすることもあるでしょうし、オケのレベルがげんなりするようなものであることもあるでしょう。
それでも、ソリストは「一期一会」の出会いを期待して詰めかける観客のためにベストを尽くさなければいけない存在です。

ハスキルのライブ録音を次から次へと聞いてみて、そんな愚につかないことが頭をよぎった土曜の休日でした。