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モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番 ニ短調

P:クララ・ハスキル 指揮:ヘンリー・スヴォボダ ヴェンタートゥール交響楽団 1951年9月録音

  1. Mozart:Piano Concerto No 20 In D Minor K.466 [1.Allegro]
  2. Mozart:Piano Concerto No 20 In D Minor K.466 [2.Romance]
  3. Mozart:Piano Concerto No 20 In D Minor K.466 [3.Rondo - Allegro Assai]



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こににも一つの断層が口を開けています。

この前作である第19番のコンチェルトと比べると、この両者の間には「断層」とよぶしかないほどの距離を感じます。ところがこの両者は、創作時期においてわずか2ヶ月ほどしか隔たっていません。

 モーツァルトにとってピアノ協奏曲は貴重な商売道具でした。
 特にザルツブルグの大司教との確執からウィーンに飛び出してからは、お金持ちを相手にした「予約演奏会」は貴重な財源でした。当時の音楽会は何よりも個人の名人芸を楽しむものでしたから、オペラのアリアやピアノコンチェルトこそが花形であり、かつての神童モーツァルトのピアノ演奏は最大の売り物でした。
 
1781年にザルツブルグを飛び出したモーツァルトはピアノ教師として生計を維持しながら、続く82年から演奏家として活発な演奏会をこなしていきます。そして演奏会のたびに目玉となる新曲のコンチェルトを作曲しました。
 それが、ケッヘル番号で言うと、K413〜K459に至る9曲のコンチェルトです。それらは、当時の聴衆の好みを反映したもので、明るく、口当たりのよい作品ですが、今日では「深みに欠ける」と評されるものです。

 ところが、このK466のニ短調のコンチェルトは、そういう一連の作品とは全く様相を異にしています。
 弦のシンコペーションにのって低声部が重々しく歌い出すオープニングは、まさにあの暗鬱なオペラ「ドン・ジョヴァンニ」の世界を連想させます。そこには愛想の良い微笑みも、口当たりのよいメロディもありません。
 それは、ピアノ協奏曲というジャンルが、ピアノニストの名人芸を披露するだけの「なぐさみ」ものから、作曲家の全人格を表現する「芸術作品」へと飛躍した瞬間でした。

 それ以後にモーツァルトが生み出さしたコンチェルトは、どれもが素晴らしい第1楽章と、歌心に満ちあふれた第2楽章を持つ作品ばかりであり、その流れはベートーベンへと受け継がれて、それ以後のコンサートプログラムの中核をなすジャンルとして確立されていきます。

 しかし、モーツァルトはあまりにも時代を飛び越えすぎたようで、その様な作品を当時の聴衆は受け入れることができなかったようです。このような「重すぎる」ピアノコンチェルトは奇異な音楽としかうつらず、予約演奏会の聴衆は激減し、1788年には、ヴァン・シュヴィーテン男爵ただ一人が予約に応じてくれるという凋落ぶりでした。
 早く生まれすぎたものの悲劇がここにも顔を覗かせています。


クララ・ハスキル!!何という素晴らしいモーツァルト


以前アップした録音はあまりにも音質が悪かったので、何かいいものはないかと探していたときに出会ったのがこのハスキルの録音です。

ハスキルのモーツァルト20番というとマルケヴィッチ盤が有名ですが、あれはあまりにもオーケストラが出すぎで鬱陶しく感じる部分もあります。その点この演奏ではハスキルの素晴らしいピアノを堪能することができます。
音質的にも申し分のない録音ですから、セル&シュナーベル盤に不満を感じる方は是非ともこちらをお聞きください。

追記:聞くところによると最近リリースされたTAHRA盤におさめられている演奏も素晴らしいそうです。1952年の録音と言うことなので、是非ともゲットして来年には必ず追加したいと思います。

 それからこんなことを書くと顰蹙をかいそうですが、TAHRA盤のジャケットにおさめられているハスキルの写真を見て驚きました。ハスキルと言えば「おばあちゃん」の写真しか見たことがなかったので、そのあまりの美人ぶりに驚嘆しました。

 この輝くような若き日のあとに彼女が歩まねばならなかった苦難の人生を思えば胸がつぶれるような思いがしますが、その苦難ゆえに、その晩年にかくも素晴らしい音楽を生み出すことができたのだとも言えます。
 そういえば、わずか5フランのお金しか持たないで、命からがら亡命してきたリバッティを支えたのもハスキルでした。その後白血病に苦しみわずか33歳でこの世を去ったリバッティでしたが、ハスキルらの支えで、人類の遺産とも言うべき優れた録音を残すことができました。

いろいろな意味で、実に偉大なピアニストでした。
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