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ベートーベン:交響曲第1番 ハ長調, Op.21

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団1952年11月24日&27日~28日録音

  1. 交響曲第1番 ハ長調 「第1楽章」
  2. 交響曲第1番 ハ長調 「第2楽章」
  3. 交響曲第1番 ハ長調 「第3楽章」
  4. 交響曲第1番 ハ長調 「第4楽章」


栴檀は双葉より芳し・・・?


ベートーベンの不滅の9曲と言われ交響曲の中では最も影の薄い存在です。その証拠に、このサイトにおいても2番から9番まではとっくの昔にいろいろな音源がアップされているのに、何故か1番だけはこの時期まで放置されていました。今回ようやくアップされたのも、ユング君の自発的意志ではなくて、リクエストを受けたためにようやくに重い腰を上げたという体たらくです。

でも、影は薄いとは言っても「不滅の9曲」の一曲です。もしその他の凡百の作曲家がその生涯に一つでもこれだけの作品を残すことができれば、疑いもなく彼の代表作となったはずです。問題は、彼のあとに続いた弟や妹があまりにも出来が良すぎたために長兄の影がすっかり薄くなってしまったと言うことです。

この作品は第1番という事なので若書きの作品のように思われますが、時期的には彼の前期を代表する6曲の弦楽四重奏曲やピアノ協奏曲の3番などが書かれた時期に重なります。つまり、ウィーンに出てきた若き無名の作曲家ではなくて、それなりに名前も売れて有名になってきた男の筆になるものです。モーツァルトが幼い頃から交響曲を書き始めたのとは対照的に、まさに満を持して世に送り出した作品だといえます。それは同時に、ウィーンにおける自らの地位をより確固としたものにしようと言う野心もあったはずです。

その意気込みは第1楽章の冒頭における和音の扱いにもあらわれていますし、、最終楽章の主題を探るように彷徨う序奏部などは聞き手の期待をいやがうえにも高めるような効果を持っていてけれん味満点です。第3楽章のメヌエット楽章なども優雅さよりは躍動感が前面にでてきて、より奔放なスケルツォ的な性格を持っています。
基本的な音楽の作りはハイドンやモーツァルトが到達した地点にしっかりと足はすえられていますが、至る所にそこから突き抜けようとするベートーベンの姿が垣間見られる作品だといえます。

「全集」として完成しましたが・・・。


気がつけば、最後の残されていた第1番もパブリックドメインになっていました。ユーザーの方から指摘されて気がつくとは情けない(^^;。これで目出度く我がサイトにおいてもフルトヴェングラーのベートーベン交響曲全集が完成しました。
しかし、この「全集」という考え方はいつ頃から始まったのでしょうか?

振り返ってみると、50年代の初め頃からブダペスト弦楽四重奏団がベートーベンの弦楽四重奏曲の全集を完成させていますし、ギーゼキングなんかもモーツァルトのピアノ曲全集みたいなモノを完成させています。それ以後、バックハウスやケンプ、ナットなんかがピアノソナタの全集を完成させていますし、交響曲では私の記憶に間違いなければ、ベルリンフィルを振って全集を完成させたのが嚆矢だったのではないでしょうか。ちょっと記憶だけが便りで曖昧ですが・・・、なんて書いてから戦前にトスカニーニがNBC交響楽団を振って全集を完成させていたのを思い出したし、シュナーベルがピアノソナタの全集を完成させていたのも思い出しました。しかし、考えてみればそれら戦前期の全集はまさに「偉業」とも呼ぶべきモノであり、ちょっと名前が売れると猫も杓子も「全集」を作っちゃうような昨今の安直さとはかけ離れたモノでした。

どうやら、この「全集」という考え方は、音楽ソフトの形態に大きく依存しているようです。
一枚で数分しか収録できないSP盤の時代に「全集」を作成するというのは大変なことです。作る方も大変ですが、それ以上に「買う」方が大変です。それらは、おそらくは大戦前には生き残っていた裕福な中産階級の存在抜きには成り立たない商売だったと思います。その事を考えれば、ソフトの形態がSPからLPに移行することによって、全集を作るにも買うにも多少は障壁が低くなりました。そして、その障壁はLPからCDへの移行によってさらに低くなったように見えます。

ただし、障壁が低くなるのは販売する側と購入する側に限った話であって、音楽を作る側のクリエイターにとってはその障壁の高さはソフトの形態にかかわらず厳然と存在します。性格も方向性も異なる作品群を一定の完成度を保ってすべて演奏するというのは考えられている以上に困難なことです。その事は、注文があれな何でも振っちゃう最近の指揮者を見ているとあまり感じないのですが、フルトヴェングラーにしてもクナにしても、昔の指揮者というのはその辺の選り好みは極めてシビアでした。
とにかく、自分には合わないと思う作品はほとんど取り上げません。ですから、同じような作品を飽きもしないで何度も何度も取り上げているのですが、聞き手の方もその事を全く怪しまないで、同じようなプログラムに何度も足を運んでいました。
牧歌的な時代だったのです。
その様な音楽家にとっては「全集」などと言うのは、音楽への「冒涜」としかうつらなかったはずです。そして、彼らは「全集」なんぞを完成させなかったことになんの悔いも残すことなくあっさりとあっちの方へ逝ってしまいました。

ところが、世間で「全集」なるものが次々とリリースされ始めると、ファンの方であっちの方へ逝ってしまった爺さん婆さんたちの「全集」を欲するようになってきます。まあ、クナなんかだと残された録音をどれほどかき集めても全集を作ることなど不可能なのですが、フルトヴェングラーならばそこまでレパートリーは限定していなかったので、「やってやれないことはない」と言うことで、彼の死後数十年にわたって録音探しがされました。とりわけ、彼の表芸とも言うべきベートーベンの交響曲全集を完成させることはファンの悲願となっていきます。
よく知られていることですが、問題だったのは、2番と8番です。つまり、フルトヴェングラーは表芸とも言うべきベートーベンの交響曲でさえ選り好みをしたのです。演奏会でもほとんど取り上げていませんからまともな形で録音が残っていることはないだろうと言われていました。
しかし、ファンの執念というのは凄いモノで、彼の演奏会の記録をもとに放送局の録音テープを掘り起こして70年代の初めに8番の録音をストックホルムで発見し、78年にはロンドンの放送局の倉庫から2番の録音テープを発掘します。とりわけ、2番に関してはおそらくこれが唯一の録音だと思われるだけに貴重なモノだと言われています。それでも、これでフルトヴェングラーのベートーベン交響曲全集が完成した「喜び」は一入で、79年にはEMIからフルトヴェングラーよるベートーベン交響曲全集と銘打って麗々しく発売されることになりました。
しかし、ユング君は今でもあの悲惨な音質の2番と8番を聞くたびに、こういう音質で、それもフルヴェンが決して好まなかったであろう作品の録音を聞くことになんの意味があるんだろうと思ってしまいます。
それでも、フルトヴェングラーを愛する人たちは2番、8番も含めて全曲アップして欲しいという要望が比喩で無しに山のように寄せられます。本当に、死して50年がたってもフルトヴェングラー恐るべしです。