クラシック音楽へのおさそい〜Blue Sky Label〜


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ベートーベン:交響曲第3番「エロイカ」

フルトヴェングラー指揮 ウィーンフィル 1944年12月19&20日録音

  1. ベートーベン:交響曲第1番 ハ長調 作品21 「第1楽章」
  2. ベートーベン:交響曲第1番 ハ長調 作品21 「第2楽章」
  3. ベートーベン:交響曲第1番 ハ長調 作品21 「第3楽章」
  4. ベートーベン:交響曲第1番 ハ長調 作品21 「第4楽章」


音楽史における最大の奇跡

今日のコンサートプログラムにおいて「交響曲」というジャンルはそのもっとも重要なポジションを占めています。しかし、この音楽形式が誕生のはじめからそのような地位を占めていたわけではありません。
 浅学にして、その歴史を詳細につづる力はありませんが、ハイドンがその様式を確立し、モーツァルトがそれを受け継ぎ、ベートーベンが完成させたといって大きな間違いはないでしょう。

 特に重要なのが、この「エロイカ」と呼ばれるベートーベンの第3交響曲です。
 ハイリゲンシュタットの遺書とセットになって語られることが多い作品です。人生における危機的状況をくぐり抜けた一人の男が、そこで味わった人生の重みをすべて投げ込んだ音楽となっています。

 ハイドンからモーツァルト、そしてベートーベンの1,2番の交響曲を概観してみると、そこには着実な連続性をみることができます。たとえば、ベートーベンの第1交響曲を聞けば、それは疑いもなくモーツァルトのジュピターの後継者であることを誰もが納得できます。
 そして第2交響曲は1番をさらに発展させた立派な交響曲であることに異論はないでしょう。

 ところが、このエロイカが第2交響曲を継承させ発展させたものかと問われれば躊躇せざるを得ません。それほどまでに、この二つの間には大きな溝が横たわっています。

 エロイカにおいては、形式や様式というものは二次的な意味しか与えられていません。優先されているのは、そこで表現されるべき「人間的真実」であり、その目的のためにはいかなる表現方法も辞さないという確固たる姿勢が貫かれています。
 たとえば、第2楽章の中間部で鳴り響くトランペットの音は、当時の聴衆には何かの間違いとしか思えなかったようです。第1、第2というすばらしい「傑作」を書き上げたベートーベンが、どうして急にこんな「へんてこりんな音楽」を書いたのかと訝ったという話も伝わっています。

 それほどまでに、この作品は時代の常識を突き抜けていました。
 しかし、この飛躍によってこそ、交響曲がクラシック音楽における最も重要な音楽形式の一つとなりました。いや、それどことろか、クラシック音楽という芸術そのものを新しい時代へと飛躍させました。
 事物というものは着実な積み重ねと前進だけで壁を突破するのではなく、時にこのような劇的な飛躍によって新しい局面が切り開かれるものだという事を改めて確認させてくれます。

 その事を思えば、エロイカこそが交響曲というジャンルにおける最高の作品であり、それどころか、クラシック音楽という芸術分野における最高の作品であることをユング君は確信しています。それも、「One of the Best」ではなく、「The Best」であると確信しているユング君です。

20世紀の演奏史における古典


フルトヴェングラーによるエロイカと言えば定番中の定番です。おそらくその価値は21世紀においても揺らぐことはないでしょう。
なぜならば、それはエロイカの演奏史における一つの極点をあらわしているからです。

今後様々なアプローチによるエロイカ演奏があらわれるでしょうが、フルトヴェングラーの存在が色褪せることはないでしょう。

ただ、フルトヴェングラーによるエロイカの演奏は確か10種類近く存在するはずで、その中でどれがベストかと言うことはよく論議されてきました。ここでお聞きいただけるのはいわゆる「ウラニアのエロイカ」とよばれるもので、歴史的名演と言われてきたものです。
対抗馬としては、52年のスタジオ録音と、同じく52年のライブ録音があげられますから、この3つがベストスリーであることは大方が賛同していただけると思います。
ユング君は52年のライブ録音が一番好ましく思うものですが、この辺のレベルになると基本的には好みの問題だとも言えます。(52年の録音も後3ヶ月ほどで著作権が切れますから、年明けをお楽しみに!)