クラシック音楽へのおさそい〜Blue Sky Label〜

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R.シュトラウス:家庭交響曲 作品53

フルトヴェングラー指揮 ベルリンフィル 1944年1月9日~12日録音

  1. Richard Strauss:Sinfonia Domestica, Op.53 [1.Introduction and development of the chief groups of themes]
  2. Richard Strauss:Sinfonia Domestica, Op.53 [2. Scherzo(Parents' happiness.)]
  3. Richard Strauss:Sinfonia Domestica, Op.53 [2. Scherzo(Childish play.)]
  4. Richard Strauss:Sinfonia Domestica, Op.53 [3.Adagio(Doing and thinking. Love scene. Dreams and cares (the clock strikes seven in the morning.)]
  5. Richard Strauss:Sinfonia Domestica, Op.53 [4.Finale(Awakening and merry dispute (double fugue). Joyous confusion.)]


巨大化した「交響詩」

リヒャルト・シュトラウスの作品で「交響曲」という名称がついているものと言えば「アルプス交響曲」が一番有名で、その次が「家庭交響曲」です。しかし、これ以外に、若書きの作品として二つの交響曲が残されていて、20歳の時に書いた「ヘ短調」のシンフォニーには「作品11」という番号が割り当てられています。この若書きの2作品は、いわゆるベートーベン以降の交響曲の伝統をふまえたライン上で模索された音楽なのですが、有名な方の二つの交響曲はそういう伝統的な概念からは大きくはみ出しています。

今さら言うまでもないことですが、シュトラウスの管弦楽作品の本流を形成しているのは「交響曲」ではなくて「交響詩」です。
16歳の時に習作としてニ短調のシンフォニーを書き、20歳で作品11のヘ短調のシンフォニーを書いてからは、彼はこの伝統的な世界に戻ってくることはありませんでした。

習作としての交響曲


  1. 交響曲(第1番)ニ短調:1880年

  2. 交響曲第2番ヘ短調 作品12:1884年



交響詩


  1. 「ドン・ファン」作品20:1888年

  2. 「マクベス」作品23:1890年

  3. 「死と変容」作品24:1889年

  4. 「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」作品28:1895年

  5. 「ツァラトゥストラはこう語った」作品30:1896年

  6. 「ドン・キホーテ」作品35:1897年

  7. 「英雄の生涯」作品40:1898年



聞くところによると、ヘ短調のシンフォニーに関してはブラームスからあれこれと五月蠅いことを言われたようで、それでウンザリしたのでしょうか、その後のシュトラウスは「交響詩」という形式に力を傾注し、管弦楽音楽の一つの頂点を極めることになります。その流れを概観して気がつくのは巨大化と複雑化です。
平均的な演奏時間で比較してみても「ドン・ファン」(約17分)→「マクベス」(約18分)→「死と変容」(約24分)→「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」(約18分)→「ツァラトゥストラはこう語った」(約33分)→「ドン・キホーテ」(約40分)→「英雄の生涯」(約40分)という感じです。
そして、この延長線上にさらに二つの作品が追加されます。


  1. 家庭交響曲 作品53:1903年

  2. アルプス交響曲 作品64:1915年



平均的な演奏時間は「家庭交響曲」(約40分)→「アルプス交響曲」(約50分)です。
「ドン・キホーテ」や「英雄の生涯」では平均的な演奏時間が約40分程度となり、さらに「家庭交響曲」でも同じような規模となったことで、シュトラウスは自分の作品が「交響詩」という枠の限界を超えたと判断したようです。そこで、シュトラウスはついに「交響詩」という名称を捨て、作品番号53を与えた「大オーケストラのための作品」に対して「家庭交響曲(Symphonia Domestica)」という名称を与えます。演奏時間が50分を超えることもある「アルプス交響曲」ならば言わずもがなです。

しかし、シュトラウスが「交響詩」という名称を憚って「交響曲」という名を与えたとしても、それはベートーベン以後の伝統的な形式とは全く異なった音楽になっています。「家庭交響曲」も「アルプス交響曲」も明確な標題を持っているという点では「交響曲」よりは「交響詩」に近く、特に単1楽章で出来ている「アルプス交響曲」は巨大化の果ての「マンモス交響詩」と言う方が妥当なとらえ方でしょう。
後期ロマン派というのは、交響曲だけでなく、全ての形式で恐竜のように巨大化した時代といえるのです。

しかし、「家庭交響曲」は「英雄の生涯」や「アルプス交響曲」とは異なり、見かけが4楽章構成と言うこともあって見方によっては自由な形式による「交響曲」という見方も可能です。何しろ、その4パーツは「1.主題提示部」「2.スケルツォ」「3.アダージョ」「4.終曲」となっていますから、いかにも交響曲です。とはいえ、この作品は「わが愛する妻とわれらの子どもに捧ぐ」と記されているように、幸福な家庭一般が音楽で表現されているものの、そのモデルは明らかにシュトラウス自身の家庭であることは間違いありません。

冒頭のチェロで提示される主題は家庭の主人であるシュトラウス自身がモデルであり、その主人の夢想的な面(オーボエ)、怒りっぽい面(クラリネット)、情熱的な面(ヴァイオリン)が次々に表現されていくあたりはまさに「交響詩」、つまりは音楽による「お話」なのです。そして、交響曲的に見れば第1楽章に当たる主題提示部では、ヴァイオリンと木管で活発な妻を、オーボエ・ダ・モーレというバロック時代の楽器で愛らしい子どもが紹介され、さらにはその子ども眺めて目を細めている叔母(トランペット)や叔父(トロンボーン)も登場して役者が揃うことになるのです。
そして、それに続く第2楽章(?)では活発に遊び回る子ども達、全曲の核になるアダージョ楽章(?)では夫婦の愛が、そして終曲では子どもの教育を巡る夫婦の諍いと仲直りなどが描かれていきます。

そういう構成を見れば、この作品もまた巨大化した「交響詩」と見る方が妥当なのかもしれません。

色々な「うーん」を引き起こしてくれる録音


棚の奥を探していると、フルトヴェングラー&ベルリンフィルによる戦時中の古い録音が出てきました。クレメンス・クラウスとジョージ・セルの二つの録音の後にこれを聞くと、実に色々な感慨にとらわれて「うーん」と唸ってしまいましたので、最新録音と較べても遜色のない60年代のステレオ録音が次々とパブリック・ドメインになる時代であるにもかかわらず取り上げることにしました。

「うーん」と唸ったポイントは3つあります。
まず一つめの「うーん」は、クラウスの演奏様式の特殊性です。
時系列で並べれば「フルトヴェングラー」→「クラウス」→「セル」なのですから、演奏様式としてはフルトヴェングラーはクラウスに近いはずなのですが、聞けば分かるように近しいのは「セル」の方です。セルはアメリカに亡命をして、その後半生の活動の拠点はアメリカだったのですが、音楽的な原点はウィーンでした。
そんなセルとフルトヴェングラーがクラウスと較べればはるかに近しいと言うことは、クラウスの演奏様式はウィーンにおける保守本流からは外れていると言うことになります。

ここで思い当たるのは、いわゆる「ウィーン風」というものの胡散臭さです。
クラウスの演奏から感じ取れるのは、一般的に「ウィーン風」という言葉から想起される演奏様式そのものです。しかし、その様式は明らかにウィーンの保守本流からは外れています。そして、その事は、クラウスという指揮者がウィーン以外の地ではウィーンを代表する指揮者として好意的に受け入れられているのに、肝心のウィーンでは結局受け入れてもらえなかったという「おかしな事実」をうまく説明できます。

もしかしたら、戦後のクラシック音楽界を席巻した「ウィーン風」の発明者がクラウス(達)だったのかもしれません。そのスタイルは有り体に言ってしまえば、ウィーンの一部に存在したローカル色の強い演奏様式を少しオシャレに仕立て直した戦後の「発明品」だったのです。
そして、その目的は戦争の傷手から立ち直るために他者との差別化を図り、「ウィーンをブランド化」するためだったのでしょう。

この事の功罪はいろいろあったのでしょうが、結果として緩くてたがの外れた演奏を「ウィーン風」と称して、頭に「ウィーン」と名の付いた怪しげなオケが日本を始めとした各地に出稼ぎに行くという悪習をうみました。そして、その弊害はついにご本尊のウィーンフィルにも及んできたようで、そのレベルの低下は目を覆うばかりです。当然、聞き手の方もさすがに「ブランド」だけでは納得がいかなくなり、今年のウィーンフィルの来日公演ではチケットが売れ残るというシビアな事になっているようです。(10月2日のフェスティバルホールの公演でも残席があるようで、ホールから「残席あり」のメールが届いています。)

二つめの「うーん」は、この時期にこの作品をいったいどんな思いで演奏し、どんな思いで聴衆は聴いていたのだろうか、ということです。
この作品を取り上げた定期演奏会は1944年1月9日~12日にかけて行われています。すでにベルリンは連合軍の空爆にさらされるようになっており、演奏会場のフィルハーモニーホールも何度か被害を受けていました。そして、この年の1月30日の空爆でホールは焼失してしまいますので、この演奏会がフルトヴェングラーとベルリンフィルにとってはフィルハーモニーホールでの最後の演奏会となってしまったのです。

そんな時期に、シュトラウス一家をモデルとした「幸福な家庭」の姿を音楽で描き出したこの作品を演奏し、それを聴くという行為はかなり複雑な意味を持ったことは間違いないでしょう。おそらく、この会場に詰めかけた聴衆の少なくない部分が、一時の感情にとらわれてナチスとヒトラーを選択した自分たちを悔いたことは間違いないでしょう。しかし、間違った「選択」は子どもであれば「ごめんなさい」ですむでしょうが、一国の選択であれば、その間違いはそれに相応しい「現実」で支払うしかないことを、この後さらに1年半の時間をかけて骨身に染みて知ることになるのです。
もっとも、その事は、ここから70年以上の時間を経た東洋の島国においても他人事ではないのですが・・・。

三つ目の「うーん」は、70年以上も前のものとは思えないほどの「音の良さ」に対してです。
よく知られているように、ナチスドイツはこの戦時下で世界に先駆けて「テープ録音」の技術を生み出していました。いわゆる、「マグネトフォン録音」と呼ばれるもので、1942年2月17日の「ドン・ファン」が現在確認されている最も古いものだとされています。そして、この1月の演奏会は一連の「マグネトフォン録音」の中でも最高水準のものだと言われています。
そして、その事を裏返せば、戦争遂行のために文化というものがいかに重要であるかをナチスが熟知していたことの証左でもあります。

こんな事を書くとまたお叱りを受けることは承知しているのですが、己の為したことに対する責任は、その行為に対する「主観」ではなくて、その事によってもたらされた「客観」で問われると言うことは否定しようがありません。つまりは、フルトヴェングラーがナチス政権下のドイツに残り(彼ならば外国に亡命することはそれほど困難ではなかった)演奏活動を続けた事の責任は、その「主観」ではなくて、それによって引き起こされた「客観」によってのみ評価されると言うことです。
もちろん、1944年の1月という時期に、ベルリンフィルとの演奏会でこの作品「家庭交響曲」を取り上げた彼の「主観」を私は一切疑うことはないのですが、「主観」は決して「客観」を免罪しないことも事実なのです。

と言うことで、色々な「うーん」を引き起こしてくれた録音でした。